GOOD BYE LENIN !
ベルリンで過ごした『うたかたの日々』を綴りたい。
昨年は日独友好年 の年でもあり、ドイツが統一されて15年の月日が経過。
2006年の今年は、ドイツでワールドカップも開催。
また、日本でも公開されたと思うが、グッバイ レーニン! で旧東西ベルリンの認識度は向上しただろう。
1989年11月9日に『ベルリンの壁崩壊』が全世界のトップ・ニュースとして流れた。
当時、僕は15~16歳だったと思う。確かに『ベルリンの壁崩壊』の映像はTVで見た記憶がある。
あの頃の僕にとっては、他国で起きた出来事であり、単なるお祭り騒ぎ程度にしか認識していなかった。
そして、ドイツ統一の重要性など、当時の僕にとって重要な出来事では無いと感じていた。
それから時も流れ、2001年に始めてベルリンを訪れた時、『ベルリンの壁博物館 』で歴史を再確認。
正直に言うと、その時は「そんな出来事あったな~」と思うだけだった。
しかも、1日だけの滞在。今思い返すと、ベルリンの街を見て回らなかったのも、そう思った要因だったろう。
だが今回、僅か4日間の滞在だが、2度目のベルリン訪問では壁の存在の重要性に気付いた。
また、そんな事を考える己に「歳をとったな~」と言う思いもした。
何故、僕がそんな思いに駆られたかと言うと、西ベルリンと東ベルリンの温度差を感じたからだ。
僕はイーストサイドギャラリー がある、ベルリン・オスト (東) 駅周辺を歩いてみた。
この地区は、旧東ベルリンの壁の境界線がある場所。
イーストサイドギャラリーを歩きながら、改めてベルリンの壁 がもたらした歴史を思い知る。
具体的な感想を伝えると、西側と東側に住む住民の気質、又は街の雰囲気に奇妙なコントラストを感じた。
比較的に見ると、西側はモダンな建築群が立てられ、リベラルな空気を醸し出しているが
東側は工事現場や空き地が多く、建築群も共産圏の面影があり、道路の幅も広く軍事的に作られた感じ。
また、ドイツの首都にも拘らず物価も旧西ドイツ側の都市より安い。
あと、僕が耳にしたのは西側の住民曰く「東側の人間は信用できない」などだ。
資本主義の西側と旧共産圏の東側の人々の心の壁。
物質的な壁は崩壊しても、精神的な壁はそう簡単に崩れるものじゃないとも思った。
* ①~④の画像はイーストサイドギャラリーのホームページより拝借。
上記③の写真は、ブレジネフ旧ソ連共産党書記長とホーネッカー旧東独国歌評議会議長
ベルリンの壁は冷戦時代の1961年8月13日に建設が始まった。
東西ベルリンを何と155kmにも渡り東ベルリンを取り囲んでいたと言う。
今回のベルリン滞在は、壁の存在が崩壊後もベルリン市民に影響している事が頷けた。
なにしろ旧東ドイツ側の人々にとって、壁の崩壊はアイデンティティーの崩壊を意味するのだと思う。
旧共産主義圏で、神のように崇められていたレーニン の思想。
現在では悪だとみなされ、レーニン像 などは跡形も無く破壊された。
僕は無知なので政治的な事は良く判らない。だから政治的な意見など言う資格は無いだろう。
だが、一つだけ疑問を感じるのだ。
それは「資本主義と社会主義のどちらが正しい」という問いである。
僕は、資本主義の国で育った人間だからその辺が良く判らない。だからこそ、その事に興味がある。
確かに旧共産圏では「自由が無い・物が無い」と言う声を聞いた事もある。
旧共産圏が崩壊して約15年近く経とうとしているが、資本主義に移行しても生活は改善していないらしい。
勿論それには時間が掛かるだろう。
その為に、資本主義の先進国に出稼ぎ労働者が職を求めて雪崩れ込んでいるようだ。
今まで信じてきたものが崩壊する。これほど悲惨な事は無いと思う。
その様な旧共産圏の人々が、資本主義の経済競争に悪戦苦闘し、動揺しているのが目に浮かぶ。
何故、そう思うのかと言うと、旧共産圏の人々がこの様な事を言っていたのを耳にしたからだ。
「昔の方が良かったかも知れない。資本主義も貧富の差を作るだけだ」と・・・
PS
3月2日~10日に掛けて『AQUI... ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA...』へ行ってきます。
(ここは地の果て、海始まるところ)
Monde