秋刀魚の味  | TERRA EXTRANJERA

秋刀魚の味 

                年の瀬がもうすぐ迫り、環状線からは渋滞からの苛立ちからなのか


           機械仕掛けの雄叫びも寂しく殻合唱し、木枯らしが淡々と吹き付ける今宵の師走。


                   そんな環状線沿いの家の近所に馴染みの定食屋がある。


             私が渡仏する前からもよく通っており、帰国してからもお世話になった定食屋。


                                 『まつおか』


                     よくこの店へは度々晩飯を喰らいに通ったもんだ。


                       


                   その『まつおか』が本日を持って閉店する事となった。


                            実に30年の歴史である。


             ここの親父さんは、閉店前に行くとよく余り物のおかず等をサービスしてくれて


             私も貧乏学生の頃や金に縁の無かった頃などは良くお世話になったもんだ。


         そんな訳で、この定食屋『まつおか』には過ぎ去りし思い出と愛着を抱いているのだった。


                そこで『まつおか』の最後を見届けようと本日の晩飯を喰らいに行った。          


                 すると、閉店という事もあってか皮肉な事に客の入りがよかった。


                      どうやら馴染みの客などが駆けつけたようだ。


            これも親父さんの30年という結晶が最後の輝きを見せたという事なのだろうか。


          よく考えてみると、この様な『まつおか』の活気の或る光景を久々にみたような気がする。


                      


      親父さんも今日ばかりは何時も以上に忙しそうに炊事場やカウンターを機敏よく立ち振る舞っている。


           そんな光景を見つめていると、可笑しくも切なさも入り混じった妙な感情を抱いた。


                 また、そんな親父さんに声をかけるのも気が引いてしまった。


   数分ほどして親父さんはドアの前にいる私に気づいたのか、顔を向けて微笑みと疲労が入り混じった顔で


                              声をかけてきた。


                         『いらっしゃい。いつもの奴だね』


                  それは私がいつも頼んでいる『ハンバーグ定食』だった。


  だが、今日は『まつおか』での最後の晩餐ということもあり、親父さんのお勧めメニューを頂こうと思った。

                 親父さん曰く『そうかい?!そしたらコレなんかどうだい?!』 

                        

                   そう言う事で本日の晩餐は『秋刀魚定食』に決まった。


             今、思い返してみると親父さんは私の栄養士でもあるのかも知れない。


     その様な訳で美味しく『秋刀魚定食』を喰らいながら、空腹の胃袋へ思い出と共に流し込んだ。

                        


                     上記の写真は喰らった後の秋刀魚の抜け殻


      本来なら喰らう前を写真に収めるのだろうが、この写真の方がリアリズムを感じ取れるだろう。


           最後の夜ということもあり、おかずの量も普段より奮発してくれたのが感じ取れた。


                         秋刀魚の味?!なるほど!!


            シネフィル(映画狂)の私にとって、今日の料理はこの映画を思い浮かべさせる。


                    日本映画界の巨匠『小津 安二郎』監督の作品


LE GOÛT DU SAKÉ (SANMA NO AJI)


     今日の晩餐とストーリーは何の脈絡も無いが、秋刀魚といえば私にとってこの作品が浮かぶのだ。


                      世界の映画ファンを魅了する小津作品。


                 無論、フランスのシネフィル(映画狂)も小津作品を敬愛している。


          どちらかと言うと今日の演出はフランス映画の『パリのレストラン』が適切だろうか。


                     


        今日に至り定食屋『まつおか』の30年の歴史は、あと数時間で幕を閉じようとしている。


         親父さんはこの30年間。この店で様々な人々と出会い手料理を振舞ってきたのだ。


              そこで、親父さんに『何故店を閉じるのか?』と野暮な質問してみた。


                 すると、親父さんは渋い表情でこの様に細々と呟いた。


               『店はまだ続けたいのだが、この店の家主と喧嘩してね・・・』


       その時、私は三国史演戯に出てくる登場人物で黄忠という老いた武将を夢想してしまった。


                 黄忠は三国時代の蜀の五虎大将の一人で弓の名手。


             五虎大将の中でも一番老いているが、蜀の兵士たちはこう称えた。                       

                      

                    


                            『老いて益々盛ん』


              その言葉は正に『まつおか』の親父さんにも当てはまる言葉だろう。


                         親父さんは最後にこう呟いた。


             『この店は今日で終わるが、近いうちにまた店を出そうかと思う』


        『場所はまだ決まってないが、決まったら連絡するよ。本当に今日はありがとう』


    そう言って親父さんはメモ用紙になるような物を引き破いて名前と電話番号を書いて私に渡した。


    私も同じように名前と電話番号を書いて渡し、握手を交わそうとしたら、小麦粉塗れの手と触れた。


          お互いに一瞬含み笑いを堪えながら、親父さんは調理の支度を始めた。


        そして私も歯切れよく『また会いましょう。ごちそうさま』と言いながら店を後にする。


                       帰宅途中、木枯らしが吹き叫ぶ中で


        ほんのりと小麦粉が塗してある右手を見つめながら、私は記憶に刻み込んだのだった。


                                追伸


             数日後、『まつおか』の前を通りかかると下記の張り紙が書かれていた。


                    
        

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