TERRA EXTRANJERA -8ページ目

断絶

断絶(フランス語タイトルMacadam ・deux voies)を観た。何故か今年、フランスでリバイバル公開している。映画マニアには、かなりカルト級の映画だろう。僕は7年位前に新宿武蔵野館で観た以来だ・・・

                          

監督はMonte Hellman ( モンテ・ヘルマン)で197年に製作されたアメリカ映画である。普段は余りアメリカ映画(Hollywood)は観ない方だが、この映画はアメリカン・ニューシネマの時代に当てはまり、アンチ商業主義をスローガンに作られた映画なのである。大衆向けではないだろう。 主演はドライバー(デニス・ウィルソン)、メカニック(ジェームズ・テイラー)、少女(ローリー・バード)、GTO(ウォーレン・オーツ)

現代のアメリカ映画では、ガス・ヴァン・サントとヴィンセント・ギャロが、モンテ・ヘルマンの遺伝子を受け継いでいるのではないかと個人的に思うのだが。そしてストーリーはと言うと・・・


深夜の路上レースで、かなり改造したしたフォード?シボレー?で、うまいこと賭け金をせしめたドライバーと相棒のメカニックは、(登場人物には名前がない)ロサンゼルスを飛びだし、当ても無く南へ疾走する。

止まるのは食事と、燃料補給の時だけだった。フラダスタフを出た所で、昼食をとるために車をおりた。そして再び戻ると、突然、後部座席に見たことのない少女が乗っていた。お互い無言のまま、車は走り出す。

サンタフェに着いてから、彼らに競争を仕掛ける田舎者のカモを探す為にストリートを物色する。次の日、一行は単調なハイウェイで明るいオレンジ色のポンティアクGTOに眼をとめた。運転している男は、ただGTOとしか名のらない。成り行き上、2台の車が対決する事に・・・

大陸横断レースをして、勝った方が、負けた方の車をいただくという寸法だ。ゴールはワシントンD.C.である。2車線のアスファルト道路を、2台の車が猛スピードでとばす。時には助けあったりすることもあったが、その心底には、つねに相手を出し抜こうという意図が秘められているのかも知れない。レースを続けながら、彼らはニュー・メキシコを通り、オクラホマ、アーカンソー、そしてテネシーへ向かう。

勝負をしているのに、彼らは各地でカモを見つけ短距離レースをやり、連勝していた。メンフィスのレース場で、ドライバーとメカニックが出番を待っている間に、出し抜けにGTOは意気揚々と出発。そして車にはヒッチハイカーの少女を乗せていた。まるで猫のようで無愛想だが、不思議な魅力を持つ少女。彼の狙いは最初から娘だったのかも知れない。

少女が居ない事に気づいたドライバーとメカニックは、メンフィスのレースを投げ捨て、GTOとのレースを再開する。そしてドライブインでGTOに追いつくことができたが、3人の男たちに愛想をつかしたのか?!少女はドライブインでオートバイの若者を捕まえ、若者と一緒に立ち去った。

そして残された3人の男達ドライバー、メカニック、GTOは勝負のやる気を失う。GTOはヒッチハイカーを乗せ、方向を東に向けて車を走らせる。ドライバーとメカニックは、次の賭けレース場へと車を走らせた。エンディングはドライバーが走らせる車の映像が疾走した瞬間に、真っ赤にフィルムが焼けだすのだ。はたしてそれは何を意味するか?彼らの人生を暗示しているのか?!

        

この映画をはじめて観た時、とてつもない気だるさと虚無感に襲われたのを覚えている。それは1970年代のアメリカの政治・文化と照らし合わせると、合点が行く。物質主義に目覚めた、新たな時代。ベトナム戦争・朝鮮戦争で若者達は怒れるエネルギーを消費。そして闘争は無意味だと気づき、SEXやドラック、又はあらゆる悦楽に没頭する。そして幸せと言う名の倦怠。この問題は、現代にも引き継がれているのじゃないだろうか・・・

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ラストタンゴ・イン・パリ

 眠らぬ街。パリ某所では、夏の期間の週末だけ、タンゴサルサブルターニュの民族ダンス大道芸そして今年はフランス-ブラジルの友好年なのでサンバカポエラなどが披露されます。これは主に自主的な集まりであり、プロ・アマチュアのダンス愛好家達が挙って己のダンスやパフォーマンスを披露する場所であります。そして年齢層も様々でまさに老若男女が集まって真夏の夜を楽しんでいるのです。

ある意味ココはアンダーグランドなパリで、パリ・スコープなどには載っていないのではないか?!と思う訳です。なのでツーリストも余り見かけません。(*パリ・スコープとは催し物が載っている情報誌)そう言う訳で、あえて場所は書きません。誰にでも自分だけの秘密の場所というのを欲すると思いますが、この場所は僕にとってその様な場所なのです。(勿論限られた友人には教えますが!!)

ココでは、パリジャン・パリジェンヌ達が飲食物を持ち寄り、ピクニックをしながらダンスを観たり、大道芸を見たり、または参加したりします。勿論全て基本的には無料です。(ダンス大道芸などはたまにチップを集めるかな?)僕も天気の良い週末などはココに来てビール片手に撮影したり、のんびりとダンス(特にタンゴ)を見入っています。それは静かなる情熱がタンゴのリズムを通して伝わるからです。

そして以前「踊らない?」とマダムに誘われた事がありました。僕は「踊りが下手で、言葉も(フランス語)も下手です」と冗談を交えて答えると、「ダンスは体を動かせば良いの、言葉は要らないわ!」と言われました。実にその通りです。なので教えてもらう事に!!しかし肝心のリズム感が無いのには、マダムも困惑しましたが(苦笑)そしてドニ・ラヴァン(ボーイミーツガール・汚れた血・ポンヌフの恋人の主人公アレックス役)を見ているような感覚に陥る大道芸も必見!!まあ、こんな感じで実に和める場所なのです。

しかし、用心も必要!!何処の国でも盛り場には「悪い奴ら」が付き物です。酒を飲んで暴れたり、喧嘩したりする輩もいるし、薬の売人はいるので、結構危険が潜んでいます。なので女性の一人歩きや、貴重品を持ち歩いているとターゲットにされる可能性がありなので注意してください!!

     

フランスに住んでから、いつも思うのは「彼らは実に遊び方(時間の過ごし方)が天才的」だと言う事です。それは何故かと言うと、お金を掛けずに楽しむ事を知っており、中世ヨーロッパさながらの吟遊詩人が存在し、食べ物を持ち寄りピクニック。飲んで、歌って、踊り、愛を語る。実に時の過ごし方が素朴なのです。

実際に或るフランス人の友人は、以前日本に2年住んでいて、彼曰く「日本では何をするにもお金の掛かった」と呟いていました。(飲み屋、ゲーセン、カラオケ、クラブ、等・・)確かにお金の掛かる遊びが多いのは事実ですし、ヨーロッパのように人々が集まる公共の社交場が少ないし、規制が厳しい。おまけに日本人は他人を余り受け入れにくいと言う特徴も手伝い、ヨーロッパのような社交性を求めても無理なのだろう・・・


      

そして、いつもの事ながら映画に結び付けますが、タンゴとパリと言えばベルナルド・ベルトリッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』を思い出します。2004年7月1日、俳優マーロン・ブランドが享年80歳で亡くなりましたが、個人的にアメリカの俳優では一番好きでした。舞台は冬のパリ、奥さんが自殺したばかりの中年男ポール(マーロン・ブランド)と、若い女性ジャンヌ。二人は偶然の出会いが、実は宿命的な出会いであり、マゾヒスティックな肉欲に溺れる日々を過ごすようになる。お互いに名前も素性も知らない二人。ポールに名前を尋ねるジャンヌに対して、ポールは「愛に名前は必要ない。会話の中では一切名前については語るな」という哲学を持っている男。名前や本性を知らないからこそ、成立する愛の形もあるのだ。ベルトリッチの映し出すカメラアングル、そして映像美のを通して語られるストーリーは儚くも、そして美しくもある。名前をお互いに必要としない肉欲的な関係性から真実の愛という姿へと変えようとポールが、自ら自分の名前を語り、ジャンヌに愛を告白するのだが、そこには悲劇が待っていた・・・

72年の映画であるが、セックスをテーマにした過激な内容から当時イタリアでは公開後数日で上映禁止になり、87年になってやっとで公開が許されたといういわくつきの映画である。ベルトリッチ監督は当時まだ31歳。マーロン・ブランドが48歳。二人の男、そして女優のマリア・シュナイダーが作り出す官能の世界。そこにさらなるセクシャリティある演出を加えているのがガトー・バルビエリの音楽である。

              

タンゴと言えばアストラル・ピアソラリベルタンゴが定番だが、『ラストタンゴ・イン・パリ』のテーマソングもパリの街に良く合う。そして、ココの空気感とセーヌ川に写るネオンに酔いしれながら、ポール・エリアールの詩の一節が駆け巡った。 「僕は生まれた お前を知る為に お前に名づける為に 自由(Liberte.)と !!」                    Monde

夢幻の如く

 今日のParisは灰色の空模様。なので意味は無いのですが、久々にフランスの映画事情を書こう!!

フランスではCedric Klapisch(セドリック・クラピッシュ)監督のLes Poupees russes(ロシアン・ドールズ)が公開中。この映画は前作L'Auberge Espagnole(スパニッシュ・アパートメント)の続編であり、怪優Romain Duris(ロマン・デュリス)演じる主人公Xavier (グザヴィエ)の、幼い頃の夢である小説家を志した、その後を描いています。ちなみにRomain Duris(ロマン・デュリス)は1974年まれで僕と同世代!!


感想はと言うと、クロスオーバーされたシナリオと編集に音楽は、観る者をテンポ良く映画に引き込みXavier (グザヴィエ)の周りに現れる美女達との戯れ。そして三十代の悩みや戸惑いを等身大に演じえたロマン・デュリスは適役だ。クラピッシュ&デュリスのコンビは本作で、現代のトリュフォー&レオーとなる可能性を示したと言えるのではないか?!だが、前作を超えるまでには至らないと個人的に思うのだが・・・

                                                http://www.foxjapan.com/movies/spanish/index.html

                            http://www.marsdistribution.com/site/poupeesrusses/    

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そして7月19日からFESTIVAL DE CINEMA EN PLEIN AIR 2005.Parc de la Villette(ラ・ヴィレトパーク)で野外映画会が開催されています。しかも無料!!これは僕のフランス生活での年中行事に入っており、Paris滞在で一番の楽しみです。PM9:30から始まるので、仕事が終わってからでも大丈夫!!


昨日はBrian de Palma(ブライアン・デ・パルマ)のScarface(スカーフェイス)を上映。しかし昨日は始まるのが何故か遅れてPM:10:00を回り、危うく終電を逃すところで全編観れませんでした。これがフランスなのです(苦笑)だが、初日だと言うのに結構人が来ていたのには驚きました!!パリジャン・パリジェンヌ達も野外映画会を心待ちにしていたのでしょうか!?


今日はSpike Lee(スパイク・リー)Nola Darling N’en Fait Qu’à Sa Tête です。しかし今日は寒いし、そこまで観たい映画じゃないから、家でのんびりしよう!そして今日書いた記事のリンクを貼り付けて置きます。ついでにアート系配給映画館のMK2興味ある方は覗いてみて下さい。


                              http://www.cinema.arbo.com/index.php3?p=tous_films   http://www.mk2.com/new/home/home.asp


こんな感じで映画の都Parisでは、映写機のリールはフィルムを(カタ!カタ!)と回転し、スクリーンに映し出される光は人生を語りだす。そして我々を夢の世界へ誘うのだ!!           Monde

南へ・・・

 今更ですが、既にフランスは国民の最大の行事であるVacanse(バカンス)に突入しています。近所のGare de L’Est(パリ東駅)は、毎日の様に、これからバカンスへ出かける人々や、バカンスから帰って来た人々が行き交っています。そして僕の働いているパン屋も、今年はバカンス休暇でお店を2週間閉めるので、これからバカンスをどうしようか考えなければなりません。そんな時にルームメイトのManu(マニュ)がTVを見ながらこんな事を質問してきました。

「Monde!!ペタンクを知っているか?昔、良くパパとTVで、ペタンクのチャンピョンシップを見ていたんだよな~」と、彼はまだ21歳なのに既に懐かしがってました(笑)そして一瞬なんでこんな質問をしてきたんだと考えながら、「知ってるけど遊んだ事はないよ!!」と答え「なんで数あるCSチャンネルの中でコレを見るんだ?」と不思議に思いつつ。そこで彼が見ているTVチャンネルを覗いてみると、何とペタンクフランス・チャンピョンシップが行われていました。

                   

南仏生まれの、だれでも楽しめる球技で、ヨーロッパを中心に普及しているスポーツです。最近では、アフリカ、アメリカ、カナダ、タイなどでも愛好者が増え、日本にもペタンク愛好家がいるそうです。今では国際的なスポーツになりました。語源は、南フランス地方の方言「ピエ・タンケ(両足を揃えて)」に由来していると言われています。

ペタンクを知らない人に説明しますと、上の写真に写っている鉄球をポイントに投げるスポーツです。詳しいルールを知りたい人はhttp://www.boulessports.com/petanque/rule/01rule.htm にアクセスしてください。

(ふ~ん)と思いながらペタンクを見ていると、ふと!!(南仏に行きたいな~!そして海が見たい!!)その様な事が頭を過ぎりました。しかし先月の日本帰国で結構お金を使ってしまい、バカンスに行けるような資金がない。そんな状態でしたが(何とか行きたい!!)その思いが結構強い事に気づきました。(こんなチャンスは滅多にないぞ)と自分に言い聞かせ、(この二年間フランス国内を満足に観ていないな~。2週間もバカンスなのにPARISから一歩も出ないなんてうんざりする!!)そんな事を考え出すと、この衝動は抑えきれない事が分かりました。そこで(禁断のアレをやろうか!?)そんな馬鹿げた事が閃いたのです。 (写真は閃いた瞬間に目に付いた電球)

  

その(禁断のアレ)とはヒッチハイク(貧乏旅行)の事です。昔、東京に住んでいた頃には、よく無性に何処か旅行に行っきたい。しかし予算が少ない。そんな時は、ヒッチハイク+野宿をしました。必要なものは度胸とカメラとバックパックに寝袋これだけです。旅のスローガンは「思いつくがままに」で行きたいスポットだけを決めて、後は風まかせ!!

一度は突然(恐山に行ってみたい)(太宰治の生家である斜陽館に行きたい)(津軽三味線を生で聴きたい)そんな思いつきを、同じ会社の同僚を無理やり誘い、5日間の連休中に行ってみようと思いました。時間短縮する為に青森まで深夜バスで行き、そこから青森県内を下北半島まで電車で行き、途中で車を拾いつつ津軽半島をフェリーで渡り、また車を拾う。(運良く面白い中年親子と出会う)そして、思いがけない十和田湖まで回わった訳です。その他にも静岡に行き(中田島砂丘で撮影したい)とか(竜ヶ岩洞窟に行きたい)などもありました。それがエスカレートしてヨーロッパを2ヶ月貧乏旅行したのですが(苦笑)文章も長くなるので、この辺で切り上げよう・・・

僕をこんな奇行に導いたのは、数ある旅行記の中でも或る一冊を読んでからでした。それは「つげ義春薯 貧困旅行記」との出会いです。勿論「沢木幸太郎薯 深夜特急」も読みましたが。今、思うとそれ以上に面白い!今では愛読書です。「・・・蒸発と言う行為は、現実とか日常とか、あるいはこの世からこっそり脱け出てしまったような奇妙な心理状態になる・・・つげ義春の侘しい心境を感じ取りながら読むと、面白さが増すでしょう。お勧めします!!

                                   

そんな感じで久々に、男の特権であるヒッチハイク(貧乏旅行)をしたくなりました。そこでManu(マニュ)を誘ってみる事に。(彼も二週間、何も予定がないのだろうと思ったので)すると彼の中に眠っている若さと冒険心を刺激したのか「OK!!」と答えました。なので目標は「南仏の海がある場所」に。具体的な場所は、バカンスまで、まだ3週間ぐらいあるのでこれから決めよう。(しかしニースとかマルセイユはありきたりだし、モンペリエはどうだろうか?確かメキシコ人の友人アルマが住んでいるはず!)そんな事を考えながら、早速Mailを打つ事に。そして現在連絡待ちです。それにしても果たしてどんな旅になるだろうか?!予測も付かないが、目的は決まったのだ。南へ・・・!!                                                               

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紅い閃光

 最近PCがスパイウェアに犯されてBlogが書けない状況でした。一応Ad-Aware SEと言う無料ウィルス駆除ソフトをインストールして試してみたのですが、英字版でソフトの操作が解んなくて悪戦苦闘しています(苦笑)何方かこの様な状況に詳しい方アドバイスください。そして昨日は7月14日。フランスは革命記念日です。そしてパリ市民はパリ祭で盛り上がりました。そしてパリ祭が過ぎると街は静まりかえり、人々はバカンスへ出掛け、一瞬の夏に起こる愛の物語を描くのでしょうか・・・

 今日書きたい事は、一昨日の13日の前夜祭での出来事です。それはその日の仕事が終わり、大急ぎでPont des Artsに向かいました。何故かと言うと、そこからエッフェル塔の近くで打ち上げられる花火を、遠距離で写真に収めようと考えていたのです。恥ずかしながら、パリに二年も住んでいるのに一度も行った事が無いので、今年ぐらいは観てみようと思った訳です。

  

エッフェル塔の近くから花火が打ち上げられると、話には聞いた事あるのですが。僕はレオス・カラックス監督(Leos carax)の作品でポンヌフの恋人( 原題 Las Amants du Pont-Neuf )のワンシーンにパリ祭のシーンがあり、確かポンヌフ(Pont-Neuf)から打ち上げ花火が見えた筈なので、それをイメージしていました。

そして僕にとって出会いの橋であるPont des Artsから麦酒片手に観ようと思ったのです。ついでに前回の帰国の際に、日本から持ってきた隠しアイテムを持参して行く事に!!


Pont des Artsに着き、何処で写真を撮ろうか場所を探していたら、Feteをしている人々の隣が少し開いていたので陣取り、撮影準備しました。PENTAX 6X7と言うカメラをセッティングして、後は花火が打ちあがる時間10:30まで、麦酒片手に待ちながら、のんびりしていた。


 その日はとても天気が良く、セーヌ川に夕暮れの陽は赤味を写し、橋の上は涼しい風が吹いていました。時刻は10:00を回り辺りを見回すと、人々は夕食やお酒を持ち寄って、食事や談話をしています。とても良い光景なので写真を数枚撮っていると、隣でパーティー(Fete)している人達の視線を感じました。なので軽く会釈をし、怪しくないようにアピールしました(苦笑)すると、その中の一人の女性が「何を撮っているの?」と質問してきたので、「人々のFeteの光景を撮っているんだよ」と答え、ついでに「打ち上げ花火も撮るんだ!!」と伝えました。すると彼女は、花火の打ち上げられる事を知らなかったらしく、周りの友達にその事を話していました。その語源はスペイン語でした。そして数分後、彼女は「花火が打ち上げられるまでココで一緒に飲まない?」と誘ってくれました。僕は照れながら、「良いの?」と答えたら、そこにいる人達も「一緒に食べよう!!」と言ってくれるので、ご馳走になる事に!!そしてこれが僕にとって出会い橋という名の所以なのです。Pont des ArtsではかつてMORADO(モラド)と言うモロッコ人や、他にもいろんな国の人と出会いました。この様な事はEUでは当たり前だし、僕の中でも当たり前と化しているのです。

その日の集まりは、スポーツ・メディカルドクター・アドバイザー学校時代の仲間だそうです。全員で11人位いたと思います。確か8人がスペイン人で、フランス人2人にイタリア人が1人と言うナショナルチームでした。そこに日本代表で僕が加わった訳です。今、名前が思い出せるのは写真①の僕を誘ってくれた中央の女性スペイン女性のマチュカと、写真②の女性2人、右がナタリーで左がルシーです。彼女達二人は盲目で、職業はマッサージ師でした。(日本でも盲人の方達が、良くマッサージ師の仕事をしているのを知っていたので、世界共通なんだな)そんな事を思いながら、皆で麦酒を飲む事に・・・


そんな感じで時間が過ぎ、既に打ち上げ花火の打ち上がる時間なのだが、まだ姿を見せないので、これは奇妙だなと思った。そこで、エッフェル塔のある方角を遠目で見ると少し明るく、耳を済ますと「ボン!!ボン!!」と爆発音が鳴り響いているではないか!!これはひょっとしたら「ココからじゃ見えないのか・・・」と言う考えが浮かび、近くの人に聞いてみる事に。すると、やはり「ココからじゃ見えない」という事だった。無念!!ポンヌフの恋人のように見える訳じゃなかったのだ!!そう、あの映画の(Pont-Neuf)ポン・ヌフはセットであり映画であった。(あまりにも己のの間抜けさが脱力感を誘い、なんだか笑えてきた。)そう言う事なので、マチュカや皆に知らせる事にした。


結局、打ち上げ花火の撮影は断念!!そして「しょうがないよ!!」や「たいした事ないよ!!」と言う声が周りから聞こえてきたのだ。さすがラテン民族。常に楽しむ事を優位に考える思考は尊敬に値する。その時だ!!隠しアイテムである線香花火の事を思い出したので、さっそく皆に「日本の花火があるから試してみよう」と提案する事に!! 何故かと言うと、フランスでと言うかユーロ(EURO)で、線香花火を見かけた事がないので、EURO国民に日本の精神(レ・スプリ)である線香花火を見せようと言う魂胆でした(笑)

                  

皆に渡した後、線香花火に点火した。この花火の醍醐味を理解してくれたかは定かでないが、閃光花火のスパークに、宇宙のビッグバンを感じるのも、人生の儚さを感じるのも、各自のイマジネーションが夢想に浸らせてくれるだろう。                                                Monde                                                                                       

ワイルドサイドを歩け

     突然ですが貴方に質問します。「貴方は同性愛者の傾向があると考えた事ありますか?

 すみません。冒頭に突然この様な質問を書いてしまい(苦笑)何故かと言うと誰にでも人生で一度ぐらいはこの様な事を考える時があるではないかと思ったからです。そしてつい最近いただいたコメントに、僕のBlogに書いてある事を参考に「イメージしたらゲイじゃないですか?」という疑惑を抱かれました(苦笑)偏った情報の、思い込みとは恐ろしいものです。なので今回はその事について記事にしたいと思うのですが・・・

昔から職場で働く同僚の女性から「Monde君はホモセクシャル?」と冗談で聞かれたことが稀にあります(苦笑)その度に「違うよ」と強く否定するとかえって怪しいし、「そうだよ」と認める訳にも行きませんから、「ノーマルだよ」と勿論答えました。違う言い方をすると男色家じゃありません(笑)そんな感じをかもし出しているとは自分では思っても無い訳ですが、第三者から見たら、そう見えない事もないらしい(苦笑)

そしてフランスはと言うかパリはゲイに寛容な街です。ドラノエ・パリ市長もゲイだと公言してるし、ゲイのメッカであるマレ街を歩けばそれっぽい人々が沢山集まっています。たまにマレ街を散歩する時は、なんか変な視線を感じますし、稀にホモのフランス人に声を掛けられた事もあります(苦笑)ゲイには天国のような街なのかも知れませんが、残念ながら僕はゲイじゃないので(笑)そして僕が帰国している間に、今年もゲイ・プライドが6月27日に行われていました。下記の画像はゲイ・プライドのフライヤーです。  

               

僕自身ゲイの人に偏見はありませんし、自分がゲイの世界に憧れる事もありません。そして過去にはゲイでオランダ人の友人もいましたし、以前働いていたバイト先にはレズの女性もいました。彼女からは何故か僕なら理解してくれそうと思われ告白されましたが(苦笑)そう言うことで、個人的にゲイの心理には興味があります。何故かと言うと芸術家にはゲイが多いので、「ゲイの世界に飛び込めば、ひょっとしたら芸に磨きがかかり(笑)今までにない感性が手に入るのではないか?」と少し思った事もあります。しかし思っただけで実行には移しませんでしたが!!皆さん誤解しないように(笑)そこでゲイを学説的に探索てみたところ、下記の様な事が書かれていました。そしてゲイ用語辞典発見。http://mucho.girly.jp/vivid/yougo/a.html              


同性愛が目覚める理由
心理学的学説
人間の性意識(男性や、女性の気持ち)が出来るのが、ほぼ8歳でこの時期の心への影響が理由として挙げられる。
・女系家族に育つと男性として自分が自覚できなくなってしまった場合。
・母親との関係が強すぎて、自分が女性化してしまった場合。
・厳しい母親を通じて女性への恐怖心が強く残ってしまった場合

医学的学説
母親のおなかの中にいるころ、もともと女性的な赤ちゃんの中に男性に生まれる赤ちゃんには、男性ホルモンの分泌を加えて脳を男性にしていきます。ところが母親にストレスがたまると充分な男性ホルモンの分泌が出来なくなってしまいます。
結果、体が男性でも脳は女性である子供が生まれるのです。

これは主に先天的なゲイの事を書いているだと思いますが、そして僕は思うに後天的なゲイもいるのではないかと思うのです。それは何故かと言うと、例えば三島由紀夫ジャン・ジュネの小説などを読んだり、映画だと「野生の夜に」や「ベニスに死す」に「ワイルドサイド」などを観て感情移入したり。もしかしたら自分はゲイの傾向があるのではないか?と錯覚する者もいるのではないかと。J・Pサルトルの描く「一指導者の幼年時代」の主人公リシュアンもその様な錯覚に陥りました。そしてそのような思い込みこそ、無限の可能性を秘めた人の人生を左右するのではないかと思うのだが・・・                       Monde               

C’est La Vie  !!

 家族について他人様に伝えるのは何だか恥ずかしいが、約五年ぶりと言うことなのでどうか大目に見てください。最後に会ったのは何時以来だろうか?確か僕が覚えている限り、長女の妹の結婚式以来だろう・・・

帰郷して2日目の深夜に自宅へ帰りました。初日は鹿児島の友人と遊び呆けていたのです。今振り返ると久々に実家への帰郷という事なのですが、父母に会うのが突然恥ずかしくなったのではないかと思います。そして何故か怖かった。父母の老けた姿を見るのが痛堪らない思いに駆られたのかもしれません。そんな訳で我ながら情けないが、中学時代の友人YとMに自宅まで車で送ってもらい、一人じゃ何だか億劫なので、そのまま家まで付き合ってもらいました。いよいよ家に着き外観はさほど変わりなく、見覚えのある「家族の表札」が色あせていました。そして勇気を振り絞り。自宅の門を開けました。


玄関先には相変わらず、父のコレクションの珍品が置いてありました。それは次のようなものです。「ノコギリ鮫の歯」や「カジキマグロの角」に「ガゼル(大鹿)の角」「得体の知れない化石」や「不思議な石」「孔雀の羽」そしてここ数年父がはまっている趣味で、ハンティングで狩った獲物の「猪の頭蓋骨」が二頭置いてありました。「何処でこんな技術を身につけたんだ?」と思うような仕上がりの置物でした。それはジョージア・オキーフの「頭蓋骨の絵」をイメージさせる物でした。他にも上げれば限がないのですが、そんな珍品を父は昔から自慢げに集めていました。そんな父も今年で五十九歳になり来年は定年を迎えます。

そして母が玄関に駆けつけました。母の第一声は「あんた今まで何してたの?」でした。僕はボソボソと苦笑いしながら何を言ったか覚えていませんが。それにしても母の老け様は異様でした。なんか「家を間違えたのか?」と一瞬思ったのですが、取り合えず荷物を置き靴を解きました。ちなみに我が家は父が筋金入りの仏教徒家庭なので西洋の家族のように久々の再開に抱き合う抱擁など無論ありません。友人達も戸惑いながら後に続き、そのまま直接応接間へ行くと父は昔と変わらない上座布団の上に座って焼酎を煽っていました。父に挨拶を言いましたが、昔から変わらずの無愛想で、しかも深刻そうな顔をしていましたが、友人達がいるので取り合えず彼らに酒を勧めました。そしてその奥には結婚したはずの妹が何故か居たのです。

そして父の第一声は「家は今大変なんだぞ!!」と沈んだ声で言いました。それは説明しなくてもそんな空気が父と妹から伝わりましたが、何故かと言うと妹が嫁いだ先の家から帰って来て、現在夫とは別居中なのだというのです。そんな時に友人を引き連れて、そんな時にしかも深夜に帰宅するなんてタイミングが悪すぎます。多分友人もかなり戸惑ったと思いますが、取り合えず場の空気を変える為に、フランス土産のパスティスを父に渡し早速皆で飲む事に!そしてパスティスを飲みながら父や妹から別居の経緯を聞きました。経緯はこの様な感じです。


妹と旦那は結婚して四年と半月なのですが、最近二人目の子供が生まれてから家庭や子供に無関心になり、家には真っ直ぐ帰らずにギャンブルに明け暮れてしまう日々を送っていたというものでした。やがて家庭にはまともに生活費を入金せず、挙句の果てに借金を作っていたというのです。おまけにその旦那は高校生の実弟を同じマンションに住まわせていて、終いには「自分には自由が無い」と言うのでした。


その旦那も訳ありの家庭で育ったので兄弟思いな所は分かるのですが、二人目の子供が生まれる上に、「自分には自由が無い」と戯言を言うところが僕には腑に落ちませんでした。なので妹の事を思った上で「別れれば?」と即答しました。何故かと言うとそんな旦那の下にいたってろくな人生は迎えられません。そしたら父も同じ意見だと言うのです。しかし取り合えず妹の旦那に僕が直接会って今後どうするのか聞いてみる事になりました。そして気が付くと隣の部屋には2人の子供達が安らかに眠っていました。長男は3歳の男の子で妹の長女は8ヶ月でした。その時初めて会う甥と姪になんか不思議な気分と同時に嬉しさが込み上げ、子供達の寝顔を見ているとその旦那に対して怒りまで込み上げました。取り合えずその様な事で「後は僕に任せろ」という事でその場の沈んだ空気を変える為に、母や妹二人達にもフランス土産の香水を渡し、妹の子供達の枕元に玩具を置いときました。


妹も少しは元気になったのかパスティスを共に飲み、その場にいた友人Hも「その旦那ぼんくら(ろくでなし)ですね!!」と気が付いたら発言していました(笑)そして父も良い感じに酔い、パスティスの独特なハッカの味に顔をしかめていた。それにしても父も老けた。約五年ぶりだが人とはこの様に老いを迎えるものか?髪にも白髪がますます増え、常に老眼鏡を付けて、顔にも皺が以前より深く刻み込まれていた。だがそんな切ない思いばかり考えるのは辞めにしよう。その夜はこんな感じでした。


それから翌日妹の旦那に会い、話を聞きました。そして綺麗に別れる事を条件に(勿論養育費、その他の事面々)話がまとまったのです。そしてその週の6月19日の日曜日には妹の家裁道具や荷物の引越しを手伝いました。そしてこんな事皆さんは信じられないと思うでしょうが!?丁度その日はの父の日なので人生で生まれて初めて父に贈り物をしました。それは「村尾」という中々手に入らない焼酎でした。その日の父はとても陽気に酔っ払っていたのが今でも記憶に残っています。しかし真の親孝行をいつ果たす事が出来るのでしょうか?文章も長々となりましたがこんな約五年ぶりの帰郷だったのです。


人生は本当に予測不可能。しかし我々は生きて行かねばなりません。命がある限り!!そんな時は、このフランス語が頭に浮びます。(C’est La Vie ・・・ )これが人生と言うものなのだと・・・

                                                            Monde

『名無しの飲み屋』そして『薔薇刑』

 ヴォイッッス!!巴里野郎ことMondeです!!皆さん何の事だか分からないと思うので説明しますと、つまり身内話なのです。本当は「(仮)父母との再会」を書きたかったのですが、どうも東京在住の悪友共との個人的な体験が毎夜悪夢にうなされるので(笑)気持ちをすっきりする為に書きたいと思う次第です!!

僕は京王線の代田橋駅に住む友人で写真家のH君の家に約三週間お世話になっていました。(詳細を書くと彼とは写真の専門学校が同じで、鹿児島から出てきて東京で初めての親友です。)そして日本に着いた初日の夜にH君曰く「良い飲み屋を見つけたので行こう」と言うのです。そう言えば以前のBlog(タイトル:水無月の空)に書いたと思うのですが、メキシコ人のジェロームアルマも一緒でした。僕らは長旅の疲労を堪えながらその飲み屋へ行ったと思います。

その飲み屋は代田橋の駅前にありました。読者の為に説明すると代田橋の東口を出て、小さい商店街と言うか小道が左にあるのでそこを真っ直ぐ行くと、小さなホワイトボードに手書きで「巴里野郎」と書いてあったのです。外見は日本のカウンターがある侘しい小料理屋といった感じでした。親父さんも面白い人で、このお店に僕は来た事ないのに、「お待ちしておりました!!」と言うのです。さすがに僕も不意を衝かれました(笑)店の内装は英字や日本語の新聞紙や猥褻な写真をべたべた貼ってあるだけだし、さらに二階の座敷へ行くと夏だというのにコタツ布団が置いてあるのです。「何なんだ?この飲み屋は??」僕はこの店の凄く怪しいアンダーグランドな匂いが充満していたのでとても気に入りました。それにしてもジェロームアルマも日本に来て最初に来た飲み屋がこんな場所だとは・・・

それから店の親父に「なんで御店の名前が巴里野郎なの?」と聞きました。すると親父曰く「そこのHさんからの提案です。」と。その時、やっと訳が分かりました。つまり僕がフランスから日本へ一時帰国するので、Hの計らいで店の名前を「巴里野郎にしたのだそうです。そして本来、店には名前が無いのだそうです。なかなき粋な事をするではないですか!!その日の酒は長旅の影響もあり、直ぐ良い感じに酔い、そしてジェロームアルマもこの奇妙な飲み屋を気に入ってくれて、気が付いたら夜明け前・・・

そんな感じで僕も日本滞在中はいつの間にか「名無しの飲み屋」の常連になっていました。ある時は名前が「ともだちんこ」またある時は「馬鹿だろう?」それ以外にもココには書けないような名前になっていました(笑)ちなみにこの飲み屋の常連は年齢層も20代から70代まで幅が広く、今思い返せば知らない客同士、しかも訳ありの人が多く集まり、気が付けば一緒に飲んでいるような都会のオアシス的空間だと思うのでした。

 日本を発つ最後の夜。いつもの様にこの飲み屋で飲む事に、ドキュメンタリー作家のTにバイクマンのAそして写真家のHと僕の四人。僕は私用で遅れて行ったのですが、その時はみんなハイテンションですでに泡盛を飲んでいました。僕も遅れながらみんなに追いつくように飲む事に!!すると気が付くと何故か話題は女性の事に「今日はお店に女の子がいないから酒が詰んない」そんな声が飛び交いました。そこでバイクマンのAが「六本木に知り合いが経営しているキャバクラへ行こう」と言う事に。いつの間にか友人達は大人の遊びするようになり。(みんな歳を取ったんだな~)と思いながら、そして近くに住む我が恩人で画家のDちゃんと映画ライターのAちゃん(ちなみに女性)を呼び出し、我らの欲暴走は誰にも止められない!!

その日の午前十時にはフランスへ発つというのに、その時既に午前2時半を回っていたと思う!!そして文章がかなり長くなりそうなので大まかに書こうと思います。そこはダーツバー兼キャバクラであり、あまりキャバクラ経験の無い僕にとって、本来ならこのような場所は苦痛と感じるのに、何故か苦痛には感じなかった。それはその日この場所にいるメンツ(友人達)が、普段は絶対ありえない場所(キャバクラ)に集まっているというのが強いのかも知れない。H君も陽気になり何処で覚えたのか不思議なダンスをするし(笑)DちゃんとAちゃんも次の日は仕事だというのに付き合ってくれるし(彼は本来お酒が飲めない)そう言えばキャバクラの女の子達と何を話したか殆ど覚えていないが、友人達の行動や言動は鮮明に覚えている。

そんな感じで明け方まで我らは飲み明かし、みんなグロッキー状態に陥っていた。そして事態は突然引き金を引いた。H君が嘔吐しだしたので急遽車を止め、吐かせる事に。そんな事を2度ほど繰り返し、ついにH君は力尽き、歩道の淵にあるツツジの花壇に倒れこんだと言うか、イエス・キリスト十字架に貼り付けにされるようにH君ツツジに貼り付にされたのだ。僕らはその時の光景を「薔薇刑」と呼びあった。

          

       (薔薇刑(Ordalie par les Roses)とは三島由紀夫の写真集タイトル 撮影 細江英公)               

                

                我らは『酔いどれ船』に乗り  新大陸を目指し進むのだ

                    

                見つかる日を待ちわびながら 今日も明日も飲むだろう・・・

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ぼっけもん

 僕の故郷は日本列島の最南端の鹿児島です。皆さんは鹿児島に対してどの様なイメージを持っているのでしょうか?芋焼酎サツマイモ西郷隆盛男尊女卑おいどん薩摩男児と言う言葉があるぐらいですから、かなり無骨で荒くれ者集団をイメージするのでしょうか(笑)その前に約五年ぶりに実家に帰って思った事は「人間も環境もそう簡単には本質的に変わらない」と言う事でした。何故そう思ったのか?訳は読んでいくうちに解ると思うのですが、取り合えず読んでみてください!!

それは六月の中旬で、梅雨が日本全土を汚染しようとする時期でした。鹿児島空港に午後3時頃に降り立ち、久々の鹿児島の第一印象は自分の故郷ながら「田舎だな~」と思いながら、懐かしさに包まれました。そして空港の外に出ると熱気が押し寄せるように体温を上昇させ、恥ずかしながら立眩みがしました。そして家族には迎えに来なくていいと言ったので、目的地の鹿児島市内まで何とか帰らなければなりません。そこで恒例のヒッチハイクをする事にしました。空港の出口でスタンバイして鹿児島に行く車を待つ事10分、直ぐに車が見つかりました。乗せてくれた運転手の鹿児島弁を聞きながら市内まで行く事に。(詳細を書くとかなり長い文章になるので省きます)そして車は市内に着いて、そのまま市電(ちんちん電車)で目的地のホテルへ行く事に。何故ホテル?と思われるかもしれませんが飛行機代往復¥25500に一泊だけホテルも含まれていたのです。安い!!皆さんも一度鹿児島の土地を踏んでみるのはいかが?

勿体無いので取り合えずホテルまで行き、チェックインしてシャワーを浴び、旅の疲れを一時的に癒しながら、中学校の悪友Yに電話してみました。そうすると直ぐ近くで働いていると言うので会う事に。この男とは昔から悪い事をしてきた仲間で、いわゆる悪友と言う奴です。待ち合わせ場所で、お互い顔を見た瞬間に笑いながら近寄り、僕の第一声は「また太ったな!!」でした。何故かと言うと久しぶりに会ったYは以前会った時よりまた太っていたのです。Yの言い分によると「これは肉体改造だ!!」と言い張ってましたが(笑)そんな彼も結婚して一児の父親に。本当に信じられないがこれが現実なのかと思い知らされました。そして幸せとはこの様な事なのかと感じながら・・・

こんな感じでYと久々に談笑しながら中学校の友人を呼び出しました。結構な人数が集まり急遽に同窓会を開く事に。その中には中学校の時に初めて付き合ったTもいました。今じゃ彼女も嫁いでいましたが!!10人ぐらい集まりましたが、その内6人は結婚して子供のいる家庭もあります。独身は僕+2人だけに歳を重ねるたびに、「田舎では肩身の狭い思いをするんだな」と人事のように思いながら、ここは鹿児島人同士しかも芋焼酎の本場なので、久々に芋焼酎を飲みました。鹿児島人はだいたい中学校ぐらいから「濁酒焼酎の定番白波」を度胸試しの為に飲んだりします。飲んで・吐いて・飲んで・吐いて、の繰り返しで、年頃になると一人前に焼酎を今思えば飲めるようになったのです。懐かしい味が口覆いました。そして方言に酔いしれながら、美味しい焼酎を嗜むことが出来ました。そう言えば日本では焼酎ブームとか聞きましたが、この土地では日常茶判事ですし。しかも焼酎が飲めないと、「ぼんくら」と言われます。標準語だと何でしょう?「ダメ人間」大阪弁は「へたれ」のようなものですか?そして東京都内より安い値段で良質の焼酎が飲めます。例えば「森伊蔵」「村尾」「魔王」など焼酎マニアには堪らないでしょう。

                                      

僕は昔から友人達に「ぼっけもん」と言われて来ました。彼らと時を越えた会話にノスタルジーを感じながら「ぼっけもん」と言われた事に嬉し恥ずかし朝帰りな気分でした(笑)そして友人達を見ても外見・思考には変化があっても、本質的なものは変わっていないと思います。多分友人達もそう感じ取っていると思う。しかし正直な話あの頃のイメージを壊さないように意識して作っているのでは?と言う自己欺瞞も過ぎりましたが。そんな疚しい思いは切り捨てて中学校の時に経験した「あの頃のあるがままの姿」に思えるように・・・

ぼっけもんの意味はココ!!          http://www.tfp.co.jp/fp_sense/085.html

鹿児島弁を知りたいならココ!!        http://www02.so-net.ne.jp/~chuzo/house/dic/dic.html

ここまで書いて気がついたのですが、肝心の「家族との再会」について書くのは文章もえらい長くなるので次回にしようと思います。そんな訳で久々の田舎の友人達との戯れでしたが、お互い生きてゆく道は違えども、また芋焼酎片手に再開できる日々を。BON SANTE!!                     Monde         

music baton

 皆さん元気ですか?Mondeです。久しぶりにBlog開きます。昨日、日本からスイスのチューリッヒ経由でフランスに無事入国できました。ちなみにスイスエアーとても快適でした。そして問題のVISAも取得してきました。期間は半年ですが、まあ取り合えず問題は解決という事で良しとしましょう!!

                    

なので心機一転!今回から『L’ecme des jours』にタイトルを変更にします。意味は上記に書いてある通りです。それにVISAを取得したのに『Le Clandesttin』は語れません。皆さんにはどうでも良い事だと思うのですが、僕の中で過去へのケジメとして上記タイトルにしました。タイトルはフランスの作家ボリス・ヴィヴァンの『うたかたの日々』から借用しています。そのような訳でこれからも『Le Clandesttin』同様に『L’ecme des jours』を宜しくお願いします。


 そう言えば僕とBlogの関係性について一つ分かった事があります。それは日本での滞在中に更新したのは4回だけですが、決して更新出来ないと言う訳ではなかったのです。どうも日本にいるとBlogを書くのに億劫な自分がいました。何故かと言うと梅雨の季節がそうさせたと言うのは言い訳で、本当はと言うと常に友人達と飲んだり遊んだりしていたので、Blogを更新出来ませんでした(苦笑)そして気が付いた事とは、「はたして僕は、日本に住んでいたらBlogをしていただろうか?」と言う疑問でした。今のところ答えはNonだと思う。やはりフランス生活で孤独に陥りながら、その想いをBlogに発散させるのが正直な気持ちだと思いうのです。 そして日本での出来事も少しづつ書いて行きたいと思います。例えばですが「(仮)帰郷の話。父母との再会」や「(仮)名無しの飲み屋」に「本題)六本木心中薔薇刑」など他にも書きたい事はありますが僕がBlogをサボっている間にmusic baton (音楽バトン)なるものがorangekissさん とmoncheribebeさん から届いていました。二人には心を込めてMerciを送ります。それにしても何を書こうか?!


Q1. Total volume of music files on my computer: (今コンピューターに入っている音楽ファイルの容量)

ゼロです。MP3など持っていないし、パソコンではRADIO以外は滅多に音楽は聴きません。


Q2. Song playing right now: (今聞いている曲)

偶然ながら何も聞いていませんでした。丁度アパルトマンの向かいの部屋から子供達のはしゃぐ声が聞こえました。バツが悪いのでRADIO FIPを聞く事にします(笑)そうしたらMUKTAと言うJAZZミュージシャンのpassing moonsと言う曲が流れています。


Q3. The last CD I bought (最後に買ったCD)

『ジプシーのとき』でした。巨匠エミールクストリッツア監督の映画サントラ作品で、フランス語版タイトルは

Le Temps des Gitansです。フランス盤を2005年5月の中旬に購入。価格は9・50ユーロだった。

Q4. Five songs I listen to a lot, or that mean a lot to me:
(よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)

これは難問ですね(苦笑)取り合えず思いつくがままに書いていこうと思います!


No 5

J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティ-タシャコンヌです。そんなにクラシックは詳しくないのですが(苦笑)ようは映画の影響です!タイトルは『無伴奏シャコンヌ』で出演 アンドレ・オデール , 監督 シャルリー・ヴァン・ダム 演奏はロシアのバイオリニストでギドン・クレーメルです。彼の奏でるヴァイオリンの音色は魂を揺さぶります。今でもParisのMETOROでメトロミュージシャンの演奏を聞くと、何故か、あの主人公の面影を探そうとしている自分がいるのかもしれない・・・   

アーティスト: ギドン・クレーメル


No 4

LES AVENTURIERS』下記のジャケットの中央にいる女性で、レティシアのテーマでもある口笛の曲。僕はこの曲を吹きながら、今働いているパン屋でパン生地を捏ねながら仕事する日々です。ジョゼ・ジョバンニ原作でフランス商業映画の名作かな?!出演はアラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラ。音楽担当はフランソワ・ドルーべです。

音楽担当 フランソワ・ドルーべ


No 3
いわずと知れたW・ウェンダース名作『PARIS、TEXAS』です。音楽担当はライ・クーダーでボトルネックで奏でるギターの音色は、荒涼として乾いた空気感を感じさせます。映画も秀作ながら、サントラもそれに負けてはいません。僕の中でダンディズムの王道でもありシンボルでもある、主人公のトラヴィスがクラウス・キンスキーの娘で、美しい美貌のナスターシャ・キンスキ-演じる、奥さんとのマジックミラー越しの会話は今、思い出しても泣けてきた・・・
アーティスト: サントラ, ライ・クーダー

No 2

チックコリアと言えば最近じゃアコーステックピアノのイメージですが、僕は『Return to Forever』でJAZZフージョンを編成していた頃のチックが好きです。どっちかと言うとファーストのカモメのジャケットの方が有名ですが、6曲目の.Spainを聞くとアナドレナリンが上昇し、情熱的に!!そして画家の友人D・N氏や華道家のMちゃんと車で房総半島の海へ行き、素潜りした時の事を思い出します。

アーティスト: Return to Forever

タイトル: Light as a Feather

No 1

タイトルも曲名も誰が演奏しているのかも解りません。しかし実在する曲なのです。それはフランスで生活している時にRADIO FIPから、たまに流れてくるインストメンタルな曲です。辛いとき、悲しい時に良くこの曲が脳裏に流れてきました。どんな感じの曲か、旨く伝えられるか解りませんが説明します。冒頭はイメージで言うとニースの海岸だと思います。さざ波とカモメの鳴き声が遠くから聞こえてきて、そこにアコ-ディオンの音色が優しく重なります。そして同じワン・フレーズをギター、口笛、木琴、スキャットなどでリフレインして行きます。この曲を聴くと、とても優しく落ち着いた気分に慣れます。


 このように僕の音楽に対する趣向は70%はCINEMAから影響されたものが殆どです。サントラを買う確立はかなり高いのが分かります。そしてmusic baton (音楽バトン)も気が付いたら、ほぼCinema Baton (映画バトン)になってしまいましたが(笑)近日中に皆さんへ送ろうかな!!

そして僕はFIPから流れる名も知らないあの曲を待ちわびながら、あと半年フランスに滞在するのか・・・

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