TERRA EXTRANJERA -9ページ目

いつまでもたくさん・・・

 今回はせっかく東京にいる事だし、Monde流裏東京案内をしましょう。何故かと言うと昨日中野区にある中野ブロードウェイを久々に探索したのですが、相変わらず凄い所でした。(笑)土地勘が無い方の為に説明しますと、東京都中野区のJR中野駅北口正面に見える商店街あるショッピングモールです。そこをずーと歩いて行くとサンモールというディープな建物にに繋がります。この建物は地下1階から4階にかけての5フロアあり、大小様々な店がひしめき合っています。僕は昔から外国人の友人を東京案内するのに、このサンモールに必ず連れて行きます。それは現代日本を知る為には、外せない場所だと思うのです。


ここサンモールは「まんだらけ」の本店でもあり、かなりのアニメおたく達で賑わっています。ほかにもコスプレーヤー専門店や、なかには「オーラが見える写真を撮る!!」と看板が出ている店、「タコシェ」というアート・サブカル系の本が揃う店、映画マニア・ポスターの店、プロフェッショナル映像AV機器専門店、セル画やフィギアを売るアニメ店、そして宗教おたくが集う「精神世界専門書店」など極端にマニアックで怪しげな店があります。ここサンモールは現代日本のサブカルチャーが凝縮された特殊な地域で、日本経済の影の原動力であるおたくたちが集う店なのです。東京の情報誌にもここの場所は滅多に書かれないほどアンダーグランドな場所なので始めて行かれる方は、かなりショッキングだと思いますので用心してください(笑)

 話は変わりますが、4階の古本屋を探索していました。するとフランス現代作家J・M・G・ LE CLEZIO(ル・クレジオ)の「海を見たことがなかった少年」を見つけました。しかも恐ろしく安い値段!!そんなに傷んでいない本なのに50円なのです。僕は昔読んだ事あるのですが、久々に下記左写真の表紙を眺めていると読みたくなり速攻で買いました。もう一度ゆっくり読み直してみよう。

そして下記写真右のCinnemaの方もお勧めします。僕の尊敬するアルジェリア系フランス人監督でもあるTONY GATLIF(トニー・ガトリフ)の作品なのです。

                                 

タイトル: 海を見たことがなかった少年―モンドほか少年たちの物語

この映画は僕にとって特別な思い入れもある作品です。そしてMondeというハンドルネームも、実はこの作品から借用しています。映画のタイトルはMondoですが、フランス語の意味である(世界・人々)を合わせたものが僕のハンドルネームMondeの由来なのです。読んでいない方、映画を観ていない方は鑑賞してみて下さい。凄くお勧めします。それでは、いつまでもたくさん・・・                                                      Monde                                                                                                                                                          

イワンのばか

 いよいよ東京にも梅雨が押寄せてきている。なので意味は無いが文体を少し変えてみよう。滞在している友人の部屋の中も湿気に汚染され、部屋に飾ってある写真やポスターなどは湿度で紙が湿り皺が寄っているのだ。梅雨のあいだはすごく不愉快な日々を過さなければならない。本当に嫌な時期に日本に帰ってきたものだ!だがよくよく考えてみると約3年ぶりの梅雨を味わうのだ。やはり好きに馴れない時期なのだが、梅雨とやらを考えてみたくなったので書いてみようと思うのだが。

それはヨーロッパの気候と民族気質を対比してみたのだが、ヨーロッパは冬になると雨が多くなる時期もあるが、湿度は日本ほどでは無いし、このような梅雨は存在しない。そしてヨーロッパの今の時期はとても天気の良い日が続き、太陽は燦々として光を吸収した生命体は光合成をなし、人間や町並み、そして自然は生を息吹くのだ。太陽が沈むのは21時を回る頃なので、人々は活気がありセーヌ川沿いでは、ワインやお手製の料理を持ち寄り仲間達と酒を飲みながら談話や議論をしているだろう。そんな光景がふと脳裏に蘇ってきた。その一方日本では全国を梅雨前線が南から北上し、湿気た空気が、国民の感情を陰湿で病的な鬱病にさせるのかと思うとやるせないのだ。やはり梅雨は国民の気質にまで影響しているのだろうか?なので「雨にも負けず、風にも負けずets,,,梅雨に負けず」と宮沢賢治のオリジナルの詩を少しリメイクしながら、脳髄で反復運動させて読書に励もうと思ったがどうも集中出来ない。そんな事で目覚めにカフェを一杯飲んでから、気晴らしに外出する事にしてみた。

何処に行こうか迷った挙げ句、友人に最近教えて貰った『国際子ども図書館』へ足を向けたのだ。JR上野駅から徒歩10分から15分の所にその建物はあった。この建物は、日本で最初の国立図書館として100年前に造られたらしく、ルネッサンス様式の明治時代の西洋館で東京都選定歴史的建造物である。勿論入場料無料だが、本の貸し出しは行っていない。日本は過去の建物を壊して新しく造る文化だが、この様に昔の建物を生かしているのは凄く素晴らしい事だと思いながら来館した。

ここでは今年の4月23日から9月18日まで「ロシア児童文学の世界(昔話から近代の作品まで)」という企画展が行われていた。古い書物は1578年でピョ-ドル大帝以前の時代から、旧ソ連のレーニン、スターリンの社会民主主義時代、そして旧ソ連崩壊後の現在にいたるロシア共和国の書物まで置いてあった。そこでは始めて見る童話、児童文学書は勿論のこと、子どもの頃に見覚えもある童話や確かに読んだ事もある童話が置いてあった。

例えば「大きなかぶ」や「手袋」ウクライナ民謡に、アニメにもなった「二ルスの不思議な旅」そして2年ほど前から日本でキャラクターがブレイクした「チェブラーシカとなかまたち」に「ハリネズミ君と森の友だち」それに「金の魚」著者A,プーシキン「イワンのばか」著者R.トルストイは国内でも有名作家だと思う。そしてなんと「コーカサスの虜」の原作者はR,トルストイだったのには驚いた。実はこの映画を見た事あるのだが、それが児童文学であり、あの「光りあるうちに光を求めよ」のトルストイだったとは!他にも色々驚かされる事があった。あのドフトエフスキーも「みなしごネリー」と言う児童文学書を書いているし、チュ-ホフも「手紙」という児童文学書を、さすがロシア!

ロシア児童文学は大人も楽しめるものもあり、さすが『芸術先進国』だと感じた。だがこの様な童話や児童文学を読めるのは、ブルジョアな家庭だけであり、最下層の子供達は勿論文字の読み書きも出来ない状況だと思うのだ。そして悲しい事に幾度の大戦がぼっ発すると童話や児童文学も政治的なものが関与してきて、無垢な子供達に赤いイデオロギーを植え付けるのに使われており、戦争とは意図的に子供達にまで関与しただろう。実に悲しい事だ。。。

そして気がついたら「国際子ども図書館」に閉館まで居座ってしまった。(日本に帰って何をしてるんだろう?そして文体もさほど変わっていない!)と思わず自分にツッコんでしまった(苦笑)それにしてもロシア文学が、こんな日本に輸入されていたとは、驚きと共にロシアへの親しみを感じたものだ。建物の外へ出ると雨はまだ降っていた。そして雨の中、傘をさして歩き始めた。(子どもの頃に無意識ながら、間接的にロシアンイデオロギーが注入されているのだと想いながら。。。)

失われた時を求めて

たしかW.ウェンダース『ベルリン天使の歌』の冒頭に、下記のような感じの詩で始まったと思う?!           

            子供が子供の頃、すべてが素晴らしかった。
       空を見上げると真っ白で、浮遊している雲に乗れると思ったものだ。
         だがそれは、今じゃ儚い泡のようなの思い出でとなった。。。

いきなり戯言を書いてすみません。何故かノスタルジックな気分に浸ってしまったもので(苦笑)

 日本に一時帰国して数日起ちましたが、あらゆる所に時の経過が見えます。昔あったはずの映画館が潰れていたり、新しい雑誌が創刊されていたり、新しいお店が出来ていたり、他にも眼に見える変化が沢山ありました。そしていつも感じる事ですが、時の経過は友人達の近況だったのです。

或る友人は自分で企業を起こし、会社を起動にのせる為に、一生懸命頑張っていました。また或る友人は結婚をして、一児の父親になっていました。他にもまだ会っていない友人がいるので、皆それぞれ思考や、物事の好み、体型や顔、その他色々な時の経過があると思います。ちなみにまだ故郷に帰郷していないので実家に帰った時は、なおさらこの事について考えさせられると思います。

友人と会って話す時は大抵過去、現在、未来の事などを話しますが、人によって過去重視現在視視未来重視など色々な視点または思考で語り、『昔は良かった!』や、『今は何をしている?』とか『将来はどうする?』などですが、中には『過去の話を持ち出すなんてナンセンスだ!』と言う意見もありました。これは面白いものです、人によって重視する視点が違いますが、僕はノスタルジックな気分に浸るのは嫌いじゃありません。否定はしませんが、要は好みの問題なのでしょうか!?

『人間は進化するほど、本心は退化に憧れる』と、或る吟遊詩人が歌っていました。そして僕自身、進化する事を拒まない。むしろ望んでいる。しかしその反動で、過去に儚い憧れを抱くのかもしれない。・・・

水無月の空

 突然ですが、いま日本にいます。久々に味わう東京の時は相変わらず疾走しており、時計仕掛けの歯車のように規則正しく動いて、人々は疲労を押し殺し、物質的な不自由なく、そしてすれ違う人々は、常に己にかせられた任務を遂行していました。嗚呼、我が祖国!!

当分は関東某所の友人宅にお世話になります。そして僕にはこの国で遂行すべき任務があります。それを成し遂げ、生まれ故郷に帰郷し、この国で生きている友人達との再会に杯を交わし合いたい。そして日本はまもなく梅雨に差し掛かろうとしていた。紫陽花、蛞蝓、梅雨闇、。。。
 
 今回の帰国中、隣の席に座っていた二人のフランス語を話せるメキシコ人のカップル、ジェロニモとアルマと出会った。二人は3週間かけて日本を旅行すると言う。そして日本人には友人もいると言う事だった。だがジェロニモとアルマには初めての国であり、喜びと不安が入り交じっているようだった。なので僕は空港から電車の乗り方や、2人が行くべき場所を地図で示し、日本語の単語に会話などをアドバイスした。ジェロニモとアルマを見ていると、とても微笑ましかったのが印象的だった。そして気が付くとその日はフランスから出発して、太陽は一度も陰る事無く、14時間かけて日のいずる国へ着いたのである。そして空港へ着いてから、二人と行き先が同じだったので自ら買って道先案内人をしました。そして目的地に着き、ジェロニモとアルマの友人である日本人女性の友人に電話を駆けると言う事で手伝いました。しかし電話に出ないのです。なのでどう仕様もなく、だからと言って、二人を異国の街に置き去りする訳には行きませんでした!

それからして、二人はお腹が好いていたので近くに回転寿司があったのでそこで食事を済まし、再度電
話をかけたのですが通じず、三度目でようやく通じました。しかしそれはジェロニモとアルマにとって悲劇の始まりでした。その友人の女性曰く「泊めてあげる予定だったけど仕事の都合で無理なので、ホテルを探して欲しい」と言ったのです。その日本人の余りにもの無責任さに僕は怒りが込み上げてきました。メキシコ人の二人は彼女を当てにしていたのに、このような事になったので、怒りを通り越して落胆、悲しみ、そして裏切りを感じたのでしょう。僕は二人を見て、そう感じました。そしてとても人事のようには思えなかったのです。それは僕がフランスに住んでいる、外国人だからかもしれません。

なので僕は今回、僕自身がお世話になる家の友人に相談てみました。友人までこの事に巻き込むわけにはいけないので、良いアドバイスはないか聞いてみようと思った訳ですが、幸い僕の友人はその事にとても同上を示してくれたので、二人が次の目的地に着くまでは、協力してくれるとの事でした。メキシコ人の二人はとても友人に感謝していました。そして僕も巻き添えにした友人へ感謝します。それにしても許せないのはその日本人女性でした。いい加減な空約束の為に、このジェロニモとアルマは異国の地で彷徨う事に成りかけたのです。二人に詳しく何処でその女性と出会った過話を聞くと、昨年モロッコの旅行で出会った日本人観光客だと言っていました。異国の地でならあり得る話です!

そい言う訳で、明日までジェロニモとアルマは友人の家に滞在する事に成りました。その後は茨木に住む友人の家へ行くそうです。こちらの方は話が着いたようで、僕も安心して彼らを見送る事が出来ます。そして僕の故郷にも興味を持ってくれたみたいで、もしかしたら僕が帰郷している間、遊びに来るかも。取り合えず今はジェロニモとアルマが、心良く日本を楽しんでくれる事を願うばかり !!

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Blow-up

 Blogのプロフィールに『Photoを自己表現の主体とする』と書いていながら、その事について語る事は避けていました。何故かと言うと自分の写真哲学などを書くだけなら幾らでも書けるが、やはり作品で語りたい。言葉はPhotoの中に隠されている。それをPhotoの中から感じてくれれば良いと思うのだ・・・


今日は最近撮った写真を主にを焼きました。ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』という映画を知っている方はどんな作業か解ると思いますが、知らない方は鑑賞してみて下さい。どんな作業か分かります。

モノクロームを主に撮っているので普段は自家プリントしています。時代はデジタルが主流になってきましたし、デジタルの良さも判るが、どうしてもアナログ式の写真加工の工程には敵わない。暗室作業は一種のイニシエーションであり、それは魔術と呼ぶにふさわしい作業なのだ。この工程はとても地味で孤独な作業だが、自分の世界に没頭できる。

そして暗闇の中で光を操り、印画紙に感光させる。そして現像液停止液定着液の3段階の作業を行う。ひたすら自分の気に入るコントラストを出す為に同じ作業をひたすら繰り返す、繰り返す、繰り返す。

                                 

そして今日焼いた写真の一部をデジカメは持っていないが、最近Manuが買ってきたWeb cameraで撮影してみた。ちょと解りづらいがこんな感じで3段階の工程が済むと、パットの中に水を張って水洗する。

*暗室を撮影しようと思ったが、Web cameraのコードが部屋まで届かないので撮影断念(苦笑)

Photoについて書きたい事、伝えたい事はまだまだあるが、今日はこのぐらいにしておきたい。


こんな感じで僕はFranceでの『うたかたの日々』を抜け殻に残してゆく・・・             Monde

望郷

                       皆様にお知らせします!

 近日中に日本へ行きます。何故かと言うと、今抱えている問題を解決する為です。幸いにユダヤ人のパトロン(雇い主)が、日本への往復チケット代を出してくれました。出発日や具体的な事はBlog上なので書けませんが、今回の帰国中に問題を解決してきます。                          monde


今日はこんな感じで書き始めましたが、日本に帰国したらこの問題解決の他に、あと一つやるべき事があります。それは父母が住む土地への帰郷なのです。

               

                  望郷への想いは琥珀色 器の底に 我沈みゆく・・・


 故郷には約5年帰っていません。最後に帰ったのは妹の結婚式以来だったと思います。あれから約5年の月日は激流のように流れ去りました。たまに日本に電話すると「妹に二人目の子供が生まれる」と母が言うのでした。「おめでとう」と幸せの気持ちを思う反面、「自分の住んでいる世界の時間軸が父母の世界と完全に狂っている。」そんな事を心の片隅で思う自分がいたのです。

しかし孤独の発明という本を読んでから故郷や父母への思いは強く募りました。僕は情けない事に、今頃になって気が付いたのです。父母の事を曖昧にしか解っていない事!そして父母と過ごす残された時間も限られている事、そして告白します。いかに放蕩息子だったと言う事を・・・


                      

著者: Paul Auster

 

なので今日は仕事が終わってから、大急ぎでパリ20区にあるPolte de montreuil(ポルト ドゥ モントイュ)のCarrefourへお土産を買いに行きました。ちなみにCarrefourは22時まで営業しています。

今回は家族を第一にお土産を買いたいので、父には前回の記事に書いたPastisを。(パスティス)渡そうと思い買ったのでした。そして父とパスティスで杯を交わしながら、今までの経緯やフランスでの体験、そして父の事について知らない事を色々聞いてみようかと思った訳です。そして母や妹には香水を空港の免税店で買おうかと思います。あと甥に玩具を買わないと(笑)そして日本でお世話になる友人たちへも!

今回、帰国費用はパトロンに出してもらったので、その分家族へのお土産にはお金を惜しまないようします。そしてパトロンには本当に感謝します。そしてこれが今、家族へ出来るせめてもの償いです。

そう言う訳で、たまには親孝行をしようと思う今日この頃でした!                     Monde

指先で語る愛

 前回の記事に励まし、応援、のコメントをいただきました。あなた達にMelciをあげたい !! 

mireineさん  1107さん  orangekissさん  moncheribebeさん  nabenabeさん   sweet-bluestarさん

そして今抱えている問題も少しずつではあるが、良い風が吹いてくると思うので安心して下さい。


最近気づいたのだが、僕のBlog読者は女性の方が多い。男性が少ないのだ。何故だろう?

Blog人口は女性の方が多いのか?まあその事は置いとこう。そんな事で今日は特に女性なら関心を示す話題にしようと思いました。それは僕がフランスで経験したAmour(愛)についての些細な出来事です。


 2003年の7月にルームメイトManu(マニュ)の実家があるNormandie (ノルマンディー)のBayeux(バイユー)という町へヴァカンスに行った時の事でした。この町はTapisserie(タピスリー)で有名な町なのです。そして彼の家族と会った時に、Manuのお姉さんSophiue(ソフィー)と初めて会いました。彼女はエマニュエル・ベーアル似の顔立ちで、ショートカットの金髪に。唇が印象的な都会擦れしていない女性でした。(彼女にはフィアンセがいます。)バイユーではいつも、マニュとソフィーそれに僕の3人でアニスの香草で造られた蒸留酒Pastis(パスティス)というアルコールを飲みながふざけあったものだ。そしてパリから300キロ離れた町で過ごしたヴァカンスは生涯忘れられない。そしてPastisの味をたまに思い出だすのだ。

                        

 それからして、その年の9月の初頭。ヴァカンスでソフィーがパリへ遊びに来た時の事でした。

3日ぐらいの滞在だったと思います。またマニュにソフィーそして僕の3人で葡萄酒を飲みながらふざけあっていました。その時やたらとソフィーが僕の手を触ると言うか指先で愛撫してくるのです。僕も少し酔っていたのであまり深く気にせず、コミュニケーションなんだろうと軽く思いながら彼女の指先を感じていました。


そして酔いも覚めかけた頃に、自分の部屋のベットで寝そべっていると彼女が部屋へ入ってきたのです。「どうしたの?」問うと、彼女は口元指を当て「静かに」と言う合図をしました。僕は(どうしたんだろう?)と思っていると、彼女はあの嘗めまかしい唇を重ねてきたのでした。それはとても柔らかな唇で、さすがに驚いてしまい、一人の男として興奮してしまいました。あの時は接吻していた時間が、やたらと長く感じました。しかしその反面、僕は彼女のフィアンセも知っているし複雑な気持ちでその時を過ごしたのです。そうしている内に、隣の部屋からマニュが「ソフィー」と呼んでました。彼女は「今行く」と言いながらその場を後にしたのです。その夜はとても寝付けなく、Cinemaのワンシーンで「指と指が絡めあう場面」を今日の出来事と照らし合わせたり、何故彼女は「フィアンセを知っている僕に接吻したのか?ただの火遊び?」そして「彼女の唇」など。そしてこれがフランス人のPassionement Amour(情熱の愛)なのかと夢想に更けながら・・・

 

次の日、彼女はバイユーに帰る日でした。僕は気まずさを隠しながら何事も無かったように、僕は彼女へ別れのBISE(頬へのキス)をしました。きっと彼女も同じ思いだったと思う。(彼女にはフィアンセがいるのだから、このまま何事も無かったように)そして一夜限りの淡い想いは霧の中へ霞んでゆくのだった。

PS  ソフィーは現在フィアンセの子供を宿っている、そして今年の7月に出産予定です。        Monde

『道』そして絶望を抱くとき・・・

 フランス滞在3年目で初めてやばい状況に遭遇している。何故かと言うと、今働いているお店に衛生局の監査が入ったのだ。そしてその時間帯に働いていた僕は必然と監査の人にマークされているのだった。

詳しい事はBlog上なので書けない。だが今現在、それが僕の置かれている状況なのである。しかしまだこうしてBlogに記事を書き込む時間もあることは確かだ。つまり時間の問題なのである・・・


人間は絶体絶命と言う状況に置かれると、大まかにみて3種類の選択が用意されている。

①それを回避する為に行動を起こす。

②行動を起こさずに、運命に身を任せその時を待つ。

③それを回避する為に行動を起こし、後は運命に任せその時を待つ。


 僕が何番を選択したかはココに書かないでいます。取り合えず今は不思議とネガティブでないのは確かである。それは何故かと言うと、数少ないフランスの友人の助けがあったからだ。

話は変わるが僕が昨日書いた記事のコメントにorangekissさん と言う女性が「フェデリコ。フェリーニのを回想したら、切なくなり泣けてきた」と書いてありました。僕は18か19歳の頃に、NHKの世界名作劇場で初めてフェリーニの作品を観たのですが、その時に感じた想いは今でも忘れません。

      

    

                      

サーカスの芸人世界に憧れるフェリーニが、大道芸人のわびしい浮浪生活を描いた名作。白痴の女性ジェルソミーナは、夫ザンパノの女と酒、暴力三昧の生活で自信を失い、何度も彼のもとから逃げようとする。そんな時、ある青年に出会う。ジェルソミーナは彼によって勇気づけられ、夫と生きていくことを決心する。しかし、ザンパノが青年を殺してしまったことから、事態は変わっていく…。
美しい心をもつジェルソミーナは何度も夫を信じ、その度に裏切られる。大道芸人の笑顔という仮面の下の悲しみを表情豊かに、フェリーニの生涯の妻ジュリエット・マシーナが演じている。本作は最も感動的なフェリーニ作品として知られ、ベネチア映画祭ではサンマルコ獅子賞に輝いた。

アカデミー外国語映画賞受賞作。54年、モノクロ。


それは人間は1人では生きていけないと言うとても単純な事だが、人間の見落としがちな事を再確認したのでした。そして不安と孤独に絶望を感じる時こそ、愛する人や友人の些細な言葉で希望を感じるものだ!

                                                             monde

栄光は誰の手に?カンヌ映画祭 2005 授賞式

たった今カンヌ映画祭の受賞結果が出ました。いち早く日本の皆様にお伝えします!!

そしてエミール・クストリッツァの選評は、やはりカンヌ映画祭にふさわしく手堅い審査結果だったと思いますが、しかし既に受賞した監督にに賞を与えるのはどうか?と思う受賞結果でした。


L’ENFANT 』   第58回パルムドール受賞作

監督 ジャン・ピエール・ダンデルヌ&リュック・ダンデルヌ

ロゼッタ」の監督が二度目のパルムドールを受賞しました。主演は「イゴールの約束」のジェレミー・レニエ

です。そして僕好みの映画なので早く作品が観たいです。おめでとうダンデルヌ兄弟!!!


BROKEN FLOWERS』  第58回グランプリ受賞作

監督 ジム・ジャームッシュ

1989年に「ミステリートレイン」で芸術貢献賞以来の受賞らしいです。「コーヒー&シガレット」は駄作だったけど今回はシナリオに力を入れたのか!?おめでとうジャームッシュ!!


女優賞                  男優賞
ハンナ・ラズロ 「Free Zone」     トミー・リー・ジョーンズ 「The Three Burials of Melquiades Estrada」       
    


監督賞                  シナリオ賞
ミヒャエル・ハネケ 「Cache」      ギジェルモ・アリアガ 「The Three Burials of Melquiades Estrada


審査員賞
ウォン・シャオシャイ 「Shanghai Dreams

ちなみに小林政広監督の「バッシング」は駄目でした。今年はこんな感じのカンヌ映画祭2005です。

PS 今日は書く予定の記事があったのだけど、授賞式の為変更しました。それではSalut!!    monde

Blogを始めて思ったこと

池田満寿夫著『エーゲ海に捧ぐ』の後記にこのような事が書いてありました。


『何故私が文学にはまり込んだかということについて、若干の説明をしておきたい。私はアメリカの東部の小さな町に住んでいるので、まず殆ど日本語を喋るチャンスの無い状況におかれている。それに遊びに行く場所も無い。そうかと言って朝から晩まで絵ばかり描いている訳にはいかない。また日本語が喋れないから、どうしても頭の中で日本語の独り言を言うようになる。いつも頭の中が言葉で一杯になってくるのである。言葉、言葉、言葉。日本語で何か書かずにおれなくなったのはたぶんこの為だったのだ。』

             
著者: 池田 満寿夫
タイトル: エーゲ海に捧ぐ 窓からローマが見える

 海外に住むと確かに母国語の言葉に飢える。おまけに職場では毎日フランス語なので喋る機会も無いし、家に帰ってもフランス人のルームシェアメイトがいる。そして日本の友人も少ないので必然と僕の頭の中で日本語の言葉が駆け巡るのだ。なのでBlogを始めてからは、今まで僕の脳の中を駆け巡っていた日本語の言葉は塞き止められた川の水が氾濫するように流れ出したのかもしれない・・・         monde