TERRA EXTRANJERA -2ページ目

痙攣的な破片

  


                                                        Monde

白夜の時を越えて 


                                 Novembre

              

            眠れない夜を度々過ごすことがある。その理由が何なのか判っているのだが・・・


    そんな眠れない夜を過ごす時、ロシア・アート・アニメーション を観ながら寝付けるようにしているのだが


                        返って眼が覚めてしまうのだ(苦笑)


               * ロシア・アート・アニメ-ションをクリックすると無料で視聴できます。


            


                              上記の画像は


                      『霧につつまれたハリネズミ』 と 『話の話』


               制作はロシア・アート・アニメーションの神様ユーリ・ノルシュテイン


             このような映像が無料で見れるなんて素晴らしい時代に生まれたものです。


                        だがそれと同時に困ることもある。


                 やはり便利という言葉の裏には不便と言う言葉も付き物。


               必然と睡眠時間が足りなくなり脳内が白夜に支配されてしまうのだ。


             白昼夢を見がちな体質になるのだが、それは自主映画制作に生かそう。


                    


                         近頃は寒さも増したので


          サイフォン仕込みのCafeを一日三杯以上飲むのが日課になってしまった。


                     


                    そう言えば、もうすぐムーミン谷は冬眠の時期 


                        動物も自然界も眠りに就く季節                        

                            

              哺乳類である人間にも冬眠という習慣があったらと思う今日この頃。


               だが、そんな想いも空しいかな。これも人間ゆえの性なのか・・・

                                                               Monde

  M 3・0

                        揺り篭に揺られながら眼が覚めた。


           正確に言うと、寝そべっていた木製のソファーが軋みだして揺れだしたのだが…


     真っ先に彼の思いついた状況は、お隣の国がまたもや核実験でもしでかしたのかという事だった。


              だが相互の国の距離を考えると物理的にそんなこと不可能に近い話だ。   


                         どうやら自然発生的な地震らしい。


             次に取った行動は置時計を見た。ちょうど午前六時三八分を指している。


           薄暗い部屋に木霊するのは、木造アパート特有の「ミシッ、ミシッ」と木が軋む音。


   そう言えば、床に就く時カーテンを閉め忘れていたから、外から生気の無い光が部屋の中を差している。


      この大きな揺れを体感しながら部屋を凝視してみると、本棚や額縁などが小刻みに揺れていた。


    また、床に視点を移すと何故か濡れていた。水が何処から垂れてきたのかと思いながら辺りを見渡すと


                    どうやら金魚鉢の水が溢れ出していたようだ。


      金魚のボナパルトもきっと驚きを隠せずに取り乱して、鉢の中を活発に回遊していたに違いない。


          そんな光景を見ながら、彼は地震が生命に与える恐怖なんか一握りも感じなかった。


                 実を言うと、彼はこの大きな揺れをとても気に入っていたのだ。


                         まるで揺り篭に揺られているようだ。


                              金魚鉢を見ながら

                    

                      


                  「ボナパルト君安心しなさい。大地が揺れているだけだよ」と


                         軋む音が木霊す中で独り言を呟く。


          ただひたすら、この何時まで続くか判らない揺れを感じながらひと時の夢想に浸った。


      「そう言えばつい最近フランスから日本にワーキング・ホリデーで来た友人のダミアンは大丈夫かな?


        フランスは地震なんて頻繁に起こらないし、今頃パニックに陥っているか心配だ電話しようか?」


              と自分事のように考えてしまった。また、こんな考えも浮かんだ。


           「もし、今の時間帯に愛し合っているカップルがいたらパニックに陥るだろうな。   


               愛撫もなにも合ったもんじゃない。そんな状況にもかかわらず


             男が愛する女性に対してどの位愛があるのかをきっと問われるだろうな。


      咄嗟に愛する人を庇ってハリュウッド映画の主人公のような行動が取れたら女性の方は


 きっとこう錯覚するだろう。嗚呼この人こんな地震の中でも私を庇ってくれてる。この愛は本物だわ…」と。


            だが、そんなカップルばかりじゃないだろう。きっとこんな結末もあるはず。


              「地震を感じたとたん、二人ともパニックに陥って取り乱してしまい


                 地震が止んだらお互いその行動が恥ずかしくなって


              何事も無かったように愛撫も放棄して寝てしまう。」とかね。


         そんなどうでもいい事を第三者の視点で考えてみた。実にくだらなかった。


                      そして、こんなことも思ってみた。


             「地震のときって本来ならどのような行動を起こすべきだろうか。


      やっぱり学校で習った防災訓練の如く、テーブルの下に身を潜めたりするものだろうか。


    それとも恐怖に襲われたときって、人間の素が出て案外意味不明の行動をとるのじゃないか」とかさ。


                なんとなくこんな事呟いたり「ア~ベ~マリィ~ア~」


                      それからこんな事も考えてみた。


         「もし、この地震が強度を増して建物を破壊するぐらいの威力があったら


                神戸に住んでいた親戚の伯父さんのように屍となり


       この世から存在が消滅するのだな」と、他人事のように彼は己の死について考えてもみた。


     そんな事を思いながらテーブルの上に眼を移すと、コーヒーカップが小刻みに揺れている。


                   確か三日前に飲んだコーヒーカップだろう。


               カップの底に沈殿しているコーヒーの塊が異様に気になる。


          またそれを見ていると何故か、熱々のマンデリン・フレンチが飲みたくなるんだな。


       そんな事を考えているうちに気がついたら地震は止んでいた。実にあっけない止み方だった。


          だが、約10秒くらい大地を揺るがしたついでに人の心までも揺るがしたのは確かだ。


           部屋の中はいつもと変わらない。あるものは存在し無いものは存在しない。


                  そして、もう彼の揺り篭は揺り篭で無くなったのだ。


                                                        Monde

  仙人掌

                               Octobre


                   冷め切った夜風が何処を流離いたい気分にさせる。


                               何処か?


                       すぐ脳裏に浮かぶ土地と言えば・・・


                     

                  ※ Paris, je t'aime をクリックすると予告が見れます。


                        最近、気になるコラムを読んだ。


                  どうやら僕らの世代は、心の病が多い年齢層らしい。

  

                         

                         理由はこの様に書いてあった。


       「与えられた仕事上の責任と裁量のバランスが崩れたまま、放置されてきたのが一因」


           「晩婚・未婚が進む時代とあって、30代が『人生の決断』を迫られる時期」


     「今の30代は社会の価値観が激変した時期に船出した。こんなはずじゃ、との気持ちは強い」


   つまり、20代に比べると重要な仕事を任せられる半面で、40代のような権限が与えられることがない。


                      それがストレスをもたらしているというのだ。


                                           ~毎日新聞より文章の一部抜粋~


                               なるほど・・・


               確かにそうかも知れないが、そんなネガティブなこと考える人には


                          下記の映画をお勧めします。


          フランス式に飲んで歌って踊って恋をしてこんなミュージカルな人生もあるのだと。


                  心の問題はそんな簡単に解決するものじゃないですが


                      少しでも息抜きをして、些細な楽しみを知り


       プライベートも充実させれば、心の問題も少しは軽やかになるのではないかと思うわけです。


                 肝心なのは普段からネガティブな姿を人に見せないことです。


                             

              BANDE A PART                     Les Demoiselles de Rochefort


              * タイトルをクリックして楽しい気分に慣れればよいと思います。


     je t'aime(ジュ・テーム)と来たら対語のJ'aime Pas (ジェ・エム・パ)を覚えなければなりません。


例えばJ'aime Pas Le Rock ( ロックが嫌いだ !! )と言いたい時は(ジェ・エメ・パ・ロック)と言えばよいでしょう。 


            発音はJ'aime Pas Le Rockをクリックして映像を見ながら覚えてください。 


                             おまけ


                   友達に対して「いる?いらない?」って尋ねるときは


              Tu veux (チュ・ヴ) tu veux pas (チュ・ヴ・パ)て聞けば良いでしょう。


                  それで友達が「いらない」と断る事があるとしても


               もし不機嫌な態度をとったら友達とみなしていない事だと思います。


                      ようはTuを使うなと警告しているのかも。       


            気になる発音はTu veux ou tu veux pas をクリックして聞いてみて下さい。


                       当初の話とは反れてしまいましたが


          そんな感じで人生思いつめるのも大事なことですが精神が疲れるのも確かです。


            なので、もっと人生をポジティブに生きるのも良いものかなと思うのだ。


                      何故こんな事を書きたいのかというと


           乾燥地帯に生きる仙人掌(サボテン)も時には水を欲することがあるのです。                              


                                                               Monde

Fahrenheit 9/11

                       昨日の夜中の出来事である。


   TUTAYAの半額セールの最終日ということもあり貧乏性の私はまたもやDVDをレンタルすることにした。


                既に半額セールの期間中10本も借りていたのだが・・・  


             何故かと言うと今日が9月11日という単純な理由だったからだ。


      以前から見忘れていたDVDがあったので、急ぎ足でTUTAYAへ向かい下記の作品を借りた。


         

               Fahrenheit 9/11                     September 11 


                 今更と思いながらも以前から気にはなっていた作品。


           今から五年前にアメリカで起きた同時爆破テロ をテーマにしたものだ。


              普段、アメリカ映画をあまり観る機会が無いのも選んだ理由。


          余談だがFahrenheit 9/11はFahrenheit 451のタイトルをパロッたものである。


                   


          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


                         本来『テロリズム』の語源は


                  フランス大革命末期のロベス・ピエールの恐怖政治


            (regime de la Terreur 1793年6月 - 1794年7月)「テロール」よりきている。


     権力者が対立する者を抹殺した場合もしくは、その影響(恐慌や追従)も含めてテロと呼ばれていた。




              テロリズムという言葉は、極めて主観的・恣意的に用いられており


             自らにとって都合の悪い勢力の行為を指す時は『テロリズム』と呼び


       そうでない勢力の行為は『レジスタンス』などの他の名称が用いられるということが多く


      「テロリズム」は言葉の使い手、使う組織によって、指し示す範囲が異なるのが実情である。


                                                   <Wikipedia より参照>


          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


            どうやら現代ではこの『テロリズム』と言う言葉の意味が麻痺したようだ。


         弱者または非力な者が対立する権力者に使う戦術だと言ったら適切だろうか?!


                   両作品を鑑賞したあと複雑な思いに浸りけり。                   


              そこでこの思いをブッシュ大統領宛に短い手紙を書いてみた候。


                  * 勿論翻訳ソフト を使っての事ですが(苦笑) 


                    

                

          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


                        Dear President George W. Bush


        It became year fifth in today from the day when the United States had been threatened.


               I sincerely pray to the terrorism victim or bereaved families.


                   However, I want to tell it to you occasionally.


           This word is the one having handed it down as men of old times repeat.


        「No thing is solved even if it returns it to abhorrence for abhorrence. It only deteriorates. 」


                 Do you do even if it knows that it is the last act of it not is?


            Will the justice for you be revenge? true peace.. visit all over the world !!

               

                                                          From Monde

  憧れ…

              誰にでもあらゆる物や事柄に憧れる時があるだろう。 


        それがどんな些細な物や事柄であれども、憧れる想いは日々増すばかり…



                 憬れとはフランス語だと『L’ambition』


          上記画像はフランソワ・トリュフォー監督の初期に作られた習作。


                  邦題はそのままではあるが『あこがれ』


      


            思春期の少年の心を描いた甘酸っぱくホロ苦いストーリーだ。


   憧れる対象は様々だが、憧れを抱いたときは可能である範囲内では具現化するのが僕の主義。


 時には無謀なことまで行ってしまうこともあるが。例を挙げるとフランスでの不法滞在生活など(苦笑)


              最近だと物質的ではあるがこの様な憧れを消化する。


                           それは


            物質とそれを使う人間がもたらすY公園での至福な時間。  


                   


上記の画像は友人のフォトグラファーH氏がその至福の時をデジタル状の真空パックに包み込んでくれた。 


                      ここに映っているものは            


           自転車とシーシャ(水タバコ)そして芝の覆い茂て水辺のある風景。


                          そして僕


             この様な時間を過ごす為には時と金は惜しまないのだ。


                   自転車は昔から憧れていた実用車。


                       中古ではあるが十分だ。


            実用車とは八百屋や蕎麦屋または警官が乗っている作業車。


   フランス滞在時や運河の街アムステルダムでも実用車が目に付く光景に良く出くわしたものだ。


                 また映画の小道具としても度々使用される。


       


         


    まだまだ探せば実用車が出てくる映画はあるだろうが、僕の思いついた作品は上記の映画である。


        実用車に興味がある方は銀輪道楽 というサイトにアクセスしてみればよいだろう。       


       憧れとは、単に秘めた思いを抱いたままでいるのと、それを叶える為に行動を起こす。


                       二種類の選択がある訳だが 


       どちらが幸福に結びつくかは、その結果を経験しないと答えが見つからないものだと思う。


 抱いていただけが幸せかもしれないし、叶えたほうが幸せかもしれない。ましてはその逆もありうるだろうが。  


         何だか風見鶏の指針が見当違いの場所を指すような事を書いてしまったようだな。


           そう言えばシーシャ(水タバコ)についてはまた近いうちに書きたいと思う。


        これを燻らせながら、うたかたの日々を過ごすのが僕の休日の過ごし方なのです。


                     そして、映画を観て憧れた自転車 


   革のサドルにまたがり風を感じながら、自転車に乗って今からN玉川の花火大会にでも出かけようかな・・・


                                                        Monde

山の焚き火

                右腕の動脈を圧迫される日々が、しばらく続いている。


                    挙句の果てには右手まで痺れる始末。


     まるで電気クラゲが右手に纏わり付いているようだ。それとも脳に酸素が行き届いてないのか?!


         そんな奇妙な病に悩ませられながら、山積みの仕事を目前にすると気が滅入る。


             だが、この忌々しい山を登らなけれ次の山は見えてこないのだ。


                 そう言えばジョージ・マロニー.と言う英国の登山家は


NY・タイムズ紙のインタビューで「なぜエベレストに登るのか?」という 質問に対してこの様に答えたそうだ。


                      『 そこに山があるからだ 』 と。


しかし、顔を蒼ざめて酸欠になりながら苦行の如く登るだけでなく、悦楽を味わいたいのが人間と言う生物。


                   


         口笛吹きながら気ままに歩き、休憩時には焚き火でもしながら自然を楽しむ。


                   そのような一時の悦楽にも耽りたいものだ。


           そんな時、僕はARTE radio .com を聞きながら仕事と言う登山を行っている。


                 苦行のように行っている仕事が軽やかに進むのだ。                       


                     


      このラジオ局はフランスとドイツが共同で出資しているTV放送局ARTE が制作している。

                    

                     日本だとNHKのような立場であろうか。


      語源はフランス語とドイツ語を選択できる。音楽番組では無いので予め伝えておきます。


                    語学の教材にも良いかもしれない。


    だが、言葉が完全に理解できなくてもイメージと思い込みを働かせれば、きっと微笑を誘うだろう。


                    僕もそんな感じで聞いているんだから・・・


                                                      Monde

  No 13

                          まもなく・・・

               

          週末あたりでプライベート喫茶『13号室』を開放しようと思います。


        プロジェクターで映画を投影しながら批評というかツッコミを入れつつも


     アルコールを飲みながら、ほろ酔い気分でシーシャ(水パイプタバコ)を吸えるような


                   居心地のよい空間にしたいと思います。


       つい最近はテスト上映としてニコラス・ローグ監督の1971年公開の問題作


                『美しき冒険旅行』を友人たちと鑑賞しました。


            


   ニコラス・ローグの作品では、デヴィッド・ボウイ主演の『地球に落ちてきた男』が有名ですが


                僕は個人的に、この映画が一番印象に残ります。


   そう言えば、友人Aちゃんから誕生日プレゼントに頂いた『アデュー・フィリピーヌ』も公開予定。


                


           他にもマニアックなセレクションをして行きたいと思う次第です。

                      条件は映画を愛する方。


          国籍不問、料金無料。ただし飲食物持参してもらうと助かります。


    何故かと言うとココで出せる物はサイフォン仕込みのホット・コーヒーしかありません。

  また、部屋に入れる人数は限りがありますので、定員になり次第締め切らせていただきます。

                 最寄り駅は東急田園都市線沿いの三軒茶屋。

     BLOGを見て興味ある方はコメントに書き込みをしてください。詳しい情報を教えます。


               そう言えば今日の7月14日は仏蘭西は革命記念日。


                          巴里祭とも言う


              去年のBlog を読み返してみたら懐かしい思いに浸った。


      あの時を共に過ごした仏蘭西の友人達は今日という日を楽しんでいるのだろうな・・・

                                                         

                                                       MONDE

曇りのちテポドン

               今朝方の8時ごろ友人のN君から電話があった。


                        彼の第一声は


     『テレビ観たか?北朝鮮が日本海にテポドン を6発発射したんだぞ。知ってるか?』


                      僕は固唾を呑んだ。


                 『マジで?!とうとうヤッたか北朝鮮・・・』


                   寝ぼけていた意識も吹き飛んだ。


          だが、あいにく我が家にはテレビが無いので視聴出来ないのだ。


            そのようにN君は言い残すと『じゃーね』と言い電話を切った。


         なのでネットで調べてみたらこの事件に対しての全容が書かれていた。


             『今朝方午前6時と8時に計6発を日本海沖に発射』


    朝っぱらから血圧が上昇する話題だったので、これを書きながらもいまだに少し興奮している。


             そんな想いを抱きながら、本日も詰まっている仕事に没頭。


               そして、仕事も23時に終わり、急いで自宅に帰宅。


         だが、会社に自宅の鍵を忘れて絶句。ただ自分の失態に苦笑するだけ。


               会社に着き鍵を素早く手に取り、すぐさま駅に向かう。 


                   振り向くな、振り向くな、振り向くな!!


        競歩で駅まで向かう。それにしても『テポドン』という言葉が脳裏を離れない。

               

                 


仕事帰りに渋谷駅のキオスクと言ってよいのか?それとも新聞スタンドと言ったほうが適切だろうか?!


       とにかくこの親父から新聞を一部購入する。そして親父に頼んで写真を撮影。


                    撮影しながら親父に質問してみた。


                     『今日の夕刊の売り上げは?』


         親父は咥えタバコを燻らせながら、渋い顔で『先ず先ずだな』と答えた。


        夕刊を読みながら情報を収集した。今回で威嚇発射は5回目だったのか・・・


テポドン2ミサイル打ち上げ台模式図 テポドン発射台の衛星画像


                    そう言えば今から5~6年年前


                北朝鮮がテポドンを日本へ威嚇発射したとき。


             メディアの反応は事態を軽く捉えていたように思える。


         それは日本国民にも反映され、ジョークとして受け取られた感じがした。


              恐怖をユーモアに還元するのは良い事かもしれないが


   そろそろ、この国はもっと深刻に事態を認識し、危機感を抱いても良いのではないか?!


         僕はそんな自分の祖国に対して何故か変な違和感を覚えた記憶がある。


            電車の中でも渋谷駅でも特にいつもと変わらない光景が


                今日の出来事に対しての真実味を鈍らせる。


                         下記の写真は


               『テポドン発射15時間後の渋谷と山手線の車内』


      


漫画を読んでる者もいれば、大酒喰らって千鳥足で歩いている者、携帯電話と睨めっこしている者。


                       何も変わらない光景。


         すごく奇妙な違和感を覚える。それとも僕が神経質になりすぎなのか?


           もし、このような事が他国で行われたら許されない行為だろう。


             そして、いつもの事ながら、何故かこの映画を思い出した。


      とんでもない駄作だが、ストーリーが今日の出来事と似ているのが気になった。


                  


        そして、極東が抱える歴史問題。それは一筋縄では解決されない深い傷跡。


                     今後の北朝鮮の動向も気になる。


                  


           原爆を落とされた日本国民は、テポドン如きじゃ動じないのだろうか?!


        こんな感じで、帰国四ヶ月目に起こった『 L’ecume des jours 』なのです。

                                                         Monde

  蛞蝓

                       今宵は梅雨濁日和


                  こんな時期は毎朝の出勤が憂鬱になる。


何故かと言うと、地下を走る超合金で出来た箱の乗り物に、肉の塊は詰め込まれ揺られながらの移動。


                       本当にうんざりする。


          ちなみにこの乗り物にはTokyuuと言うネームプレートが掲げてある。


                  別名称は『痴漢電車』と言うらしい。


            その様な訳で、私は日々そんな嫌な気分を紛らわす為


      通勤移動時間の習慣として、少し湿っぽく黴臭い読みかけの書物を片手に


                     読むという行為に没頭する。


  不快指数90%の毎朝であるが、残りの愉快指数10パーセントは書物の世界で誤魔化している。


   また痴漢に間違えられないようにカモフラージュしている訳ではない事を言い添えておきたい。


       それにしても、車内での人々の表情は陰気臭い。まるで蛞蝓(ナメクジ)のようだ。


 きっと、この疲れた人達に塩を撒いたら溶け出すかもしれない。そんなくだらない夢想をするのも度々。


                         そんなある日の朝


             いつもの様に書物を読んでいたら、このような言葉に遭遇した。


 


                       フカカイナ ビトク ノ コトバ


         何故か片仮名でこの文章の一節について、様々なイメージを想い更けていたら


                 いつも降りるはずの最寄駅を乗り過ごしてしまった。


       しょうがないので電車の中吊り広告でも眺めて平静を装っている己を嘲け笑いながら


              ドアの近くのポールの所に寄りかかって書物の続きを読んだ。 


                           まあ兎に角 


            まったくもって朝から『不可解な美徳の言葉』に翻弄されてしまったが


     その時の私にとって、遅刻した事よりもその『言葉』について考えることが大切な事なのだ。


                                                             Monde